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子どもの【何年に一度】の節目は、大人にとっても大事なもの

2019年も3月になりました。
小学生には6年に一度、中学・高校には3年に一度、卒業式がやってくる時期です。

卒業を迎えて振り返ると、当たり前に過ごしてきた毎日はたくさんの人たちのおかげなんだと気づくことができます。

育ててくれた人、見守ってくれた人、支えてくれた人、励ましてくれた人、叱ってくれた人、・・・。

校長先生や来賓からの、お祝いのあいさつの中でも触れられます。

小学校のPTA会長をしている時に、たくさんのあいさつを聞き、自分でも話すことを考えているうちに、こう思うようになりました。

子どもたち一人ひとりに何年かに一度やってくる卒業の節目は、
大人が当たり前のありがたさに目を向けるためのものかもしれない

「当たり前のありがたさ」は、普段はなかなか意識しません。

地域の中は、子どもたちに関する部分だけでも、通学路の見守りや、危険箇所の整備、夜間のパトロールなど、たくさんの人が関わって成り立っています。
でも、わざわざやっていることを主張する人なんていないので、いつの間にか日常の風景として溶け込んでしまいます。
家の中で、電気が水が使えて当たり前になっているのと同じように。


気づくタイミングがあるとしたら、当たり前が失われた時。

もしくは、そこに目を向けた時。

だから、毎日感謝できることが理想だけど、せめて何年かに一度くらいはしっかり意識するために、節目の式が存在しているように思ったんです。

2年前の3月には、長男の小学校の卒業式で、PTA会長として祝辞を読ませてもらいました。
今、中学2年生の長男の世代は、節目となる年に3度の大きな地震が発生しています。

生まれた年の福岡西方沖地震、小学校入学直前の東日本大震災、小学校最後となる6年生になってすぐの熊本地震です。

祝辞は、そのことを踏まえたこんな内容になりました。

※「●●」は小学校の名前です

卒業生の皆さん、そして保護者の皆さま、ご卒業、おめでとうございます!

みんなへのメッセージ、なにを話そうか、いろいろ考えました。
この卒業生には我が子がいます。保育園のころからずっと知ってる友だちもいます。小学校にあがって知り合った新しい友だちもいます。こんなに大きくなって、本当に嬉しいです。

伝えたいことたくさんあるけど、まず先に、お礼を伝えたい人たちがいるので、少し待っていてください。


校長先生をはじめ、諸先生方。
子どもたちをあたたかく指導し、導いてくださって、本当にありがとうございました。
個性もそれぞれあって、困らせたことも少なくはなかったと思います。

でも、子どもたちを信じ、全力で向き合ってくださったおかげで、立派に今日の日を迎えることができました。

これからまだまだいろんな壁にぶつかって悩みながら成長していく子どもたちです。
どうか、あたたかく見守ってくださり、子どもたちが尋ねてきたときには今と変わらずやさしく迎えてください。


地域のご来賓の皆さま。
日頃から、地域全体で子どもたちを見守ってくださって、ありがとうございました。
毎日何の心配もなく子どもたちが学校に通い、放課後にはあちこちで遊んでいるのも、地域の皆さまのおかげです。
親としてPTAとして見せていただいて、当たり前ではないことを知りました。

●●は、本当にあたたかい地域だと感じています。ここで子どもたちと過ごせることがとても幸せです。
●●を故郷としてこれからも成長していく子どもたちを、引き続き見守ってくださいますようお願い申し上げます。


保護者の皆さまには、PTA活動にご理解とご協力をいただき、とても感謝しています。
僕と同じように、感動で胸がいっぱいのことと思います。
当たり前に過ぎていく子どもの小学校生活が、たくさんの人たちに支えられていることを、僕はPTAに関わるようになって知ることができました。
子どもたちと一緒に感謝していきたいし、おたがい様の気持ちで協力し合う大人の姿を子どもに見せたいと思うようになりました。

いま、ちょっとだけ周りを見渡すと、始めて見かける顔もあるのではないでしょうか?
恥ずかしながら、僕はすべての方を知っているわけではありません。
でも、直接の接点がなくても、いつもは気づかなくても、少しずつでもつながっていることで子どもたちを支えていけるなら、それは素晴らしいことだと思っています。

中学生になったら、子どもたちはますます多感な時期を迎えます。
みんなでみんなの子どもを見守るような大きな心で、子どもたちをこれからも支えていきましょう。


さて、卒業生のみなさん、お待たせしました。 主役を待たせてごめんなさい。
僕が、みんなのことを想う時、よく考えることがあります。
みんなが、今、生きていることと、3つの大きな地震をつなげて考えてしまうんです。

12年前、みんなが生まれてから1歳になるまでの間に、福岡で西方沖地震がありました。
今から6年前、 もうすぐ小学校に入学という年、東日本大震災がありました。
そして、去年。小学校最後の6年生になってすぐ、熊本地震がおきました。
亡くなられた方、住むところを失った方、今もまだもとの生活に戻れずに困っている方がいます。

こんなとき、僕たち大人は考えます。
生きてるってなんだろうって。そして、今生きていることがありがたいんだって。
「未来の自分をプロデュース」の授業では、失敗の反対言葉はなに?って言ってましたね。覚えてますか?
ありがとうにも反対言葉があります。
ありがとうの反対言葉は、当たり前です。
当たり前に過ごしている毎日でも、それが誰かのおかげだと気づけたらありがとうが生まれます。

さっき話したように 、今日の卒業式を迎えられたのも、先生たち、地域の人たち、保護者の皆さんが、当たり前に毎日を過ごせるように支え合ってるからです。
友だちがいてくれたから乗り越えられたこともありますよね。

でも、 なかなか普段はそこまで考えないです。もしかすると、そのために卒業式という節目があるのかもしれません。
だから、今日だけ、少しだけでいいので、ありがたいなっていう気持ちを持ってもらえたら嬉しいです。

そしたら、明日からは、また忘れていいです。
中学校でも卒業式はあります。そこで誰かがまた、感謝しましょうって話してくれます。
その時まで、当たり前を忘れてしまうくらい、前を向いて、生きてください。

勉強して、友だちと遊んで、けんかして、失敗して、悩んで、親を困らせて、時々やさしくして、何があっても生き続けてください。

みんなの当たり前を守るのは、僕たち大人の仕事です。君たちが大人になったらその役割がまわってきます。
それまでは前を向いて毎日楽しんでください。

僕がお話しさせてもらった授業で、三男が生まれた時の写真を見てもらいました。
生きてることは、とてもありがたいんです。どうか、自分のことを大事にして下さい。
自分を大事にするって、基本的なことでいいです。
よく食べる、よく遊ぶ、良く眠る、よく勉強する。そうしたら、毎日元気に過ごせます。
そして、皆さんが一人ひとりが大事な存在であるのと同じで、周りの友だちもみんな大事な存在です。
もし、誰かが元気がないようなことがあったら、「大丈夫?」って声をかけてください。
それが心の支えになります。

みんなは、●●の自慢の子どもたちです。
親として、●●の一員として、きみたちを信じて見守り続けることを誓って、 お祝いの言葉とさせてもらいます。

今日は本当におめでとう!

平成29年3月17日
●●小学校 父母教師会会長 吉村伊織

我が子を含めて、保育園の頃から知ってる子どもたちを前に、涙をこらえきれずに声が震えながら読んだのを、今でもはっきり覚えています。

その時の様子は、祝辞の裏側として過去のブログに書きました。

文章が長いうえに、涙で言葉に詰まりながら読んだので、かなり長くなったのが、ちょっと苦い思い出です。。。
(当時5年生だった男の子から、「会長、長かったね」とも言われたなぁ)


子育て中の家庭では、何年に一度かの節目で、当たり前のありがたさに目を向けることばに触れると思います。

その時は、一緒にぜひ自分たちへのメッセージとして味わって、当たり前の環境を守る大人として、地域のことも意識してみましょう。


残念ながら、世の中に目を向けると、当たり前が脅かされている子どもがいます。

そのひとつが、虐待。

安心・安全な日常、自由に振る舞える環境が確保されていない状態です。

節目の時期を友だちと一緒に迎えることができなかった悲しいニュースには、とても心が痛みます。

小さくてもいいから「身近でできることはないか」とアンテナを立てる人が増えることで、状況がよくなっていくはずです。

僕が活動しているNPO法人ファザーリング・ジャパン九州でも、3月14日に虐待防止をテーマにしたフォーラムを開催します。

こちらのページをご覧ください。

誰かに情報をつないでくれるだけでも、未来の子どもたちにつながります。
ご協力よろしくお願いします。

それでは、今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

今週の『書くンジャーズ』は、【何年に一度】がテーマ。
土曜日担当の、吉村伊織(よしむらいおり)でした。

書くンジャーズのページから、メンバーが書くそれぞれの【何年に一度】も読むことができます。


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