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畑の再生をしながら思うつれづれなこと

 先週水曜日(7/1)夕刻、畑の草刈りをしていてヒグラシが鳴くのを聞きました。夏の訪れを感じます。季節は巡り、私もまた生命の輪の中にいることを実感しました。
 この今借りている畑は、N家のおばあさんが2006(平成18)年頃まで手がけていた模様です。非常にまめな人だったようで、随所にその様子が見受けられます。例えば、テレビや脚立にはいつどこで買ったかを記した紙切れがついていました。そうした記録が途切れるのが2006年。施設に入って十数年と娘さんがおっしゃっていたのとほぼ一致します。
 残念ながらそのおばあさんは2月に亡くなってしまいました。お年からして、20代前半でご両親と共にトノガワへ入植されたようです。

「ノウ(農)ササイズ」はいかがでしょう?

 昨日(7/5)は夕方まで雨が降らないようだったので、ご近所さんから畑を耕してほしいという依頼をいただいていたのでやってきました。その足で、自分とこの畑も畝を作りました(上の写真)。大豆植える準備、ちょっとずつ進めています。後は、獣害よけの囲いだ~
 さて、たった数mの畝づくりなのに、すぐにへとへとになりました。曇り空でも割と気温が高かったせい?近所のおばあちゃん達は80代になっても畑をやっているのですから、恐れ入ります~
 ただいま、区画(3m×5m)利用者募集中です。このような「ノウ(農)ササイズ」が楽しめます!二の腕が鍛えられて、有酸素運動も一緒にできます!農作業は、長生きの秘訣です。
 そうそう、電動耕耘機必要でしたら貸し出します。必要なら人足付きで参ります。ご相談くださいませ。

土地の履歴に触れる

 草を刈っていたり、土を返していたりすると、ビニールマルチが敷かれ、それを押さえていた石が出てきたり、「青首大根」と書かれたタネの袋が出てきます。あぁ、先人らの営みの上に自分がいて、また自分も先人らと同じように草を刈り、畑をしようとしているのだと感じます。
 ましてや、トノガワは山のてっぺんにあって、土が豊富にあるわけではありません。その上、あちこちに花崗岩がゴロゴロしています。70余年前、そんな土地を開墾し土を育ててきた(土づくりは長い時間がかかります)Nさんご夫婦やそのご先祖様の苦労がしのばれます。
 話変わって、和歌山県海南市にある母の里の田んぼ・畑も、戦後の農地改革で祖父母らがようやく手に入れたというのに、今や叔父夫婦のお荷物になっているご様子。そちらの管理も考えていく必要があります。

「公共事業」について考える

 さて、朝夕の時間帯で雨が降っていない日は、外の作業をするのに貴重な時間です。今なら、19時過ぎまで作業できます。暑い日中や雨天は、noteの文章を書いたり、計画を練る時間です。
 トノガワは、今のところ土地の所有者それぞれが自身の山林や畑の管理をしていますが、今後草刈りや今月下旬から始まる山椒の実の収穫などは外部の人にも加わってもらって、できる人がやっていく「公共事業」的スタイルが望ましいだろうと考えています。
 公共事業というと、現代では行政が民間業者へ委託して道路なりを直すことを指しますが、公共とはそもそもみんなのもの、公共事業は住民が手がけるものです。これまで行政は税収が十分にあったので、それを原資に行政が一手にサービスを提供してきたまでです。
 トノガワへあがる道路も何十年か前に舗装されていますが、その費用は住民それぞれが拠出したのだそうです。それまでは、特産のトマト等出荷するトラックがぬかるみを行き来していたそうです。その後、町管理の町道になって今に至っています。
 ところで、ここ吉野町では町道の穴ぼこぐらいなら業者ではなく役場職員さんが直してくれます。ですが、場面によっては町から自治会へコンクリートのみ支給され、あとは自分たちでコンクリこねるか、自前で工賃を用立てて民間業者へ作業を発注ということもあります。
 話が少しずれましたが、集落の良好な環境を維持していくために、競争的資金の獲得やその資金による事業に取り組む公益的、公共的団体を育てていく必要を感じています。自治会的であり、より実働的な、それも若手のグループです。青年団とかつて呼ばれていたものかもしれません。
 いろいろと取り組みしていると、トノガワの外の人から「補助金(=棚ぼた式の楽なお金の意)もらって云々」などと嫌みを言われることもあるようですが、自腹切っている人は切っていますから。集落の存亡がかかっていますから。自主独立の気風がまだまだ残る開拓村トノガワです。
 現地を見ることもせずに、心ない一言は止めてもらいたいものです。

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