楽しい勉強13〜安心〜

恐怖を克服すると、安心が手に入る。
現実に起こるリスクをある程度、安心して迎え入れ、有効に対処することができるだろう。
これこそ、まさにリスクマネージメントではないだろうか。

年金制度を懸念するならば、投資をしてみる。
貯金がある種の思考停止であり、デフレに賭ける事にもなっていることを認識することなく、闇雲に貯金を安心材料にしてしまう方がリスクではないだろうか。

勉強することで、人生の「選択肢」を増やしていく。
それが必要ではないか。
選択肢して、今の行動に至るのか、やむなく行動しているのかで意味は違う。

人間は安心を本来求めるものではないだろうか。
安心できる暮らし。
安心できる住居。
安心できる人間関係。

意図的に変化やリスクを自ら作って、自分の成長を促す人もいるものの、その人すら生活基盤を安定させるからこそなし得る技なのではないだろうか。

安心して景色を眺めるために、勉強をしよう。
安心して眺めると、感性が働く。
景色から何かを感じ、自分の気づきに至ることがある。
それが人生を豊かにすることもある。

私は世界史をほとんど勉強しないまま、20代を迎えた。
ヨーロッパのカタカナの王朝のオンパレードと、中国史の漢字の王朝のオンパレードに閉口した。
日本史と違って、同時代の横の関係性も重要であり、文明の興亡を見る面白さも感じることができた。
そんな世界史を学んだ上で、現代情勢を眺めると、アメリカのプロテスタンティズムやイランの大国意識をそこはかとなく、感じ取ることができる。
歴史ほど、国柄に説得性を与えるものはないだろう。
いうなれば世界史を学ぶことは現代情勢を紐解く上で、ひとつのプラットフォームに到達したような安心感があるのだ。

その安心感の中で、いかに日本史が偏っているのかを相対的に感じ取れる。
長い武家政権の歴史を持つ国であり、和の精神やお盆とクリスマスが同居する文化性にも世界史的には当たり前でないこの国の特異性を自然と感じ取れるのだ。

何も知識が無ければ、素の感性で反応するしかない。
それが重要なこともあるかもしれない。
しかし、知識があることで安心の境地に到達しているからこそ、初めて見える世界があるのも事実だろう。

勉強を続けることで、きっと新しい景色と出会える。
人生をわくわくしたものにしていくことができる。

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