信じ抜く
挑戦するにあたって、信じ抜くことが1番しんどい作業であることがある。
周囲から無理だと言われ、別の選択肢を捨てている現状で成功するか分からないところに頭を突っ込んでいく。
正しいと自分が証明するしかない状況の時、成果を挙げることがベストアンサーとなる。
その時に、必死に努力する。
何かを捨てる時、強くなる。
重いものを背負っている時、強くなる。
自分が間違っていないことを証明するべく、強くなる。
その時、必死で走り抜ける。
この時、そんなに遠くのことを考えることはできない。
その分、目の前のゴールに集中できる。
こんな時、人間は実力以上のものを発揮する。
最終的にはそれが成功しようと、失敗に終わろうと抜群の経験値を与えてくれる。
これも、結果論である。
よくは分からないし、実力もない状態でとりあえずターゲットに飛び込んでみる。
それで、勝負してみる。
全く歯が立たず、悔しい思いもするかもしれない。
しかし、1回叩かれることで強く立ち上がることもできるかもしれない。
そうやって自分を追い込み、駆り立てることで実力を蓄える。
だから、挑戦しよう。
他のことを捨ててみて、子どもが夢中になるような力を大人も発揮していい。
世の中の本音は実力社会であり、いつでも叩かれる覚悟で対峙する必要がある。
いろんな角度から議論され、ストレスフルな状況もあるだろう。
準備はし過ぎてもし過ぎることはないだろうか。
準備はむしろ、し過ぎてしまいがちなものではないだろうか。
準備もそれなりにやったならば、あとは飛び込んでみて判断すればいい。
自分を捨てて勝負するとき、抜け出そうと、這いあがろうと必死に努力する。
もちろん、上手に負荷をかけることも大事である。
そして、最大限の負荷をかけていく姿勢が成長を促す。
時に成長というより、進化をさえ可能にする。
実際にやってみることでしか、説明がつかないというものも世の中にはある。
実際に行動に移す他は、正解に到達できないということもある。
その正解も結果的に正解にしたという、自分の行動を正当化したというだけなのかもしれない。
しかし、自分にも他人にも影響を与える挑戦というものは得てして、ある種の自己満足であり、そこに他人も共感できるほど没頭することでその哲学は自他ともに響いていくのではないか。
当の本人の心中としては、信じ抜くことでしかないだろう。
いろんな雑音や批判があっても、信じざるを得ない状況を作っていること。
この事実だけで、十分なのだ。
それが目標を目指す最良の資格になるのかもしれない。
そして、逆の流れに逆らうことで反作用的に自分の力はいっそう強まっていく。
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