歴史と経済54〜批判〜
今確立されている理論に依拠することは楽である。
基盤となる理論があるだけで、あらゆる研究がスムーズに進むであろう。
それは自然科学はもちろん、人文科学でも言えることである。
ゆえに、その安心感ゆえに理論に依存することになり、なかなか疑いを持ちにくい。
日常生活や社会全体のレベルで考えても、今ある前提や常識を洗い直すことはなかなか困難である。
当たり前が定着してしまっていることや既に理想の状態に到達しているようにも感じるからだろう。
そして、そのシステムや理論に頼り切っていることで、疑うことを習慣化していないからかもしれない。
しかし、全ての問題解決は部分的な問題解決に過ぎないというスタンスが重要である。
社会の問題は教科書の問題とは違う。
模範解答を知れば、それで終わりということにはならない。
極端な話、常に実験的に捉え、反証・修正の可能性を追求することが求められるとも言えよう。
現状に甘んじることは楽である。
現状を詳しく知ることも簡単ではない。
多くの知識や技術が絡まり、成立している仕組みだからだ。
しかし、疑うことを忘れてしまえば、それで進歩は止まってしまうだろう。
完全と思えた時に、ふと浮かんでくる疑問を追求するべきなのだ。
そうすると、その理論やシステムが矛盾を孕んでいることに気づけるかも知れない。
そこに進歩の余地がある。
全ての物事に改善の余地があると思えば、課題は見つかり、自分自身もその解決に協力できる可能性がある。
そうやって一歩ずつ社会も進歩していくのではないだろうか。
社会が進歩すれば、私たちの常識や考え方もまた変わることになるだろう。
この社会は人間の思いついたことが実現されている世界である。
疑いを持ち、行動することでさらに改良することができる世界である。
進歩の原動力は批判から始まると言えるのではないだろうか。
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