フリーインプロの抱える問題点④ 即興は芸術なのか、実験パフォーマンスについて
・即興は芸術なのか
現代においてなぜか即興と芸術は結びつきやすく現代のパフォーマンスといえば即興といった路線の語り口は自分も使った事があります。
が、関わっていると即興だからそうなのか?みたいな疑問が朧げに浮かび上がって以下略、、
正直なところフリーインプロと呼ばれるノンイディオムな即興は楽器系ですとアヴァンギャルドジャズ、所謂フリージャズのオーネット・コールマン以降の流れにはなるのかと思われますが、、
歴史を学べば学ぶほど即興自体は古代から延々と行われてきている営みなのが分かってきます。
フリーインプロは20世紀からという話ですが、即興という言葉よりは現代物であるならこちらの言葉を使った方がわかりやすいのかな、と。
とはいえ昔の教会系の人達はフリーインプロもやってたとも聞きますがどうなんでしょうね。
イディオムのある即興ですと、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンも優れた即興演奏者だったそうですし、インドの名だたる演奏者も伝統を紡ぎつつ即興を繰り返しながら差異を作ってくことを何千年、何百年とやっているそうです。
フリーな状態でその辺りの人達もやってたんでしょうか?
ジャズだとチャーリーパーカー等は名手過ぎて作曲と即興が同等レベルという天才です。
また逆でピアノのビルエヴァンスなんかは美しい旋律とリリシズムで有名ですがフレーズを作り置きしておいてそれを使いまわしてたとかも聞きます。
即興=芸術というそれとは別で多くの営みが行われているのは歴史をたどると色々考える余地が出てきます。
こうした過去の人達を辿っていくと作品化と即興を行き来していることが多いですよね、そちらの方が豊かさを感じます。
そうした優れた奏者たちは即興もしながら、最終的には大きなイノベーションを起こした末に革新的なシステムを作り、、
※バッハなら平均律、パーカーならBebop等
①でも書いた通り結論としてやはり多くの芸術内の手法なのかなとは思います。
人が言葉を覚えるように、ノンイディオムな即興の後イディオムな即興が生まれるといった推移で、芸術内での方法なのかなと。
・実験パフォーマンスについて
あと、それらとは別に実験パフォーマンスもありますが、最終的に実験の場合、結果が伴う必要があり、延々実験してなにを抽出したいのかわからないようなパフォーマンスを繰り返していてはあまり実験を持ち出す理由もなくなるのではと思ったりはします。
自分もよくやってましたが、やはりやりっぱなしよりも実験なので結論がいるのではというのがここ最近の実感です。
答えを端折る為に、言葉じゃないもの的な禅や密教的な話を出される事もありますが、あれらはやはり僧侶が悟りを開くための修行を経てからの話なのでフリーインプロの実験でそれをやるには失礼がすぎるかなとは個人的には思います。
ぶっちゃけ禅の修行は気が狂う人も多いそうです、実際しんどい思いを通り抜けてからの話かと思われます。
実験パフォーマンス系ので特筆したいのはおもしろ自作楽器路線ですね。
バッハやモーツァルトが即興演奏していたようなそれを現代に再現できますしね。
後になにかしらのシステムを作れば新しい世界が広がります。
ダンスや絵画の世界ですとワークインプログレスとかそういうやつでしょうか。
原初的な創造性の発露的な意味合いで行っている方もおられますが、自分はおもしろ楽器路線も含めこちら派かな、、
やはり即興は何かを作る為の創造性を養うための物と扱うほうが、多くの作家にとって良い方向ではないかと思ったりはします。
各々の芸術においての変化や創造性を育むための手法として即興があるのだと思いました。
色々書いては見ましたが参考程度に、、