忙殺
38歳の私は完全に自分を見失った。
娘が1歳で仕事復帰してから頑張って新しいことに挑戦し勉強して、仕事と家事と子育てを両立してきた。とても大変だったが充実もしていたのに、こんな困難にぶち当たるとは。
全てがうまくいかない。
世界をコロナが襲い、金融機関に勤める私は事業者への融資支援のため仕事に忙殺された。事業者の力になるためにとにかく早く処理しなければ、その思いで頑張った。日に日に申込は増え机は山積みとなり電話はなりっぱなし。融資まで1ヶ月以上かかるというありさま。
全てが過去の経験にはないものとなり、戸惑いと混乱の中にいた。
私の力ではなんともならい。ただただ目の前のことをこなしていくしかなかった。みんな目は死んでいた。終わりの見えない状況とコロナ感染への不安、ため息がたくさん聞こえる。雰囲気は最悪だ。
そんな中ワーキングマザーである私は、子供が一年生になるというタイミングがきていた。
卒園入学が重なりそしてすぐ休校になった。初めての環境のなか他の学年の子に圧倒され、学童に行きたくないという娘、環境の変化に不安な顔を見せる我が子を前に、行かせるのも不安な私は夫と交代で仕事を休むことにした。
仕事はそんな事を許せる状況ではなかったが、私は当然娘を優先した。そして何より自分も限界だった。毎日帰宅は9時すぎ休日出勤もあった。家の中はぐちゃぐちゃで休みはひたすら横になっていた。両立できたのは夫と母の協力を得てのことだ。
そして休む私に容赦ない視線が向けられた。私の案件が他の人に配られたのだ。
謝りに行っても無視する人もいた。バンッ!!バーンっ!!と怒りで私からいった案件を床に投げつける人。みんな余裕がない。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。急に涙が溢れてきて慌てて更衣室に走った。
人前では泣かない主義。
理解があると思っていた人に「何で子供学童行かせないんですか?」と言われた。
私の子とあなたの子は違う、家庭環境は人それぞれ。何を優先するのかは私が決めること。
はっきり言いたかったのに申し訳なさが先立ち言えなかった。
どうしよう、もう周りが敵にしか見えない。
家族には弱音を吐けずどんどん孤独を感じる。帰りの電車はプラス料金を払い特別車に乗り毎日静かに涙を出して、気持ちをリセットしていた。
そんな嵐のような日々が落ち着いてきたのは6月をすぎたころ。学校も始まり休む必要も無くなったとき課のミーティングで休んだ事を謝ることになった。
謝る?なんで?謝る必要がどこにあるの?負担をかけてしまった、それに対してありがとうございましたと言うのは分かるが、謝るのは私が悪い事をしたということになる。謝りたくなかった。
でも、今後のことを考えると謝るしかなかった。もう最後は開き直りだ、謝ればいいんでしょ?悪いなんて思ってないけど。
頭と心と言葉は完全に離れ離れだ。
もうあんな思いはごめんだわ。心がもたない。また休校になるかもしれない、周りのためにも自分のためにも課の異動をして審査からは外してもらった。
8月に入ると、追い討ちをかけるようにツライことが重なった。朝、更衣室に行くと、靴箱とロッカーの名前が剥がされていた。何かの間違いだと確認してもらったが、残念ながら違った。
バカバカしい。
こんなレベルが低い人間が周りにいたとは。更衣室で当然カメラはなく誰の仕業かは一生分からない。分かりたくもないが女性であることは確かだ。大好きな先輩や同僚後輩の中の誰かなのだ。疑う自分、でも信じたい。でも、私を嫌っている人がいることは間違いない。また孤独が襲った。
長く続く孤立感、自分を責めて、そして周りを疑い、心は孤独に埋め尽くされ、とにかく体調が悪い。目眩に貧血、不眠。休むことが増え有給もギリギリ。
見かねた上司に病院に行くように言われ精神科に行った。認めたくなかったけど、そこで薬が必要な状態と言われ、諦めた。
8月の終わりからしばらく休むことになった。