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痛い目みてもわからない
推敲なしです
甘やかな言葉遣いでどうにか作品っぽくして、自分の病みを価値あるものとして安心しようとしてきましたが、それすら難しくなってきた
自分の足りないところに気づいていないうちは幸せな馬鹿でいられるけど
自分のだめなところを自覚していて、理想と現状に齟齬のある状態がいちばん苦しいんじゃないか
わたしは中途半端にばかで齟齬の状態が長くなりがちなのでくるしい。
問題は自分のくるしみを問題にせざるを得ないのが自分しかいないことにつきる。私がどんな状態にあろうと人類や地球や世界?的にはなにも問題ない、というか問題あるなしを判別する俎上にすら乗らない、なんなら私ですらそうで、全く同じ事象をなぜ幸せと捉えられないのか?と考えても理由は恐らくない、という どうしようもなさに折り合いをつけれずにいる
ということが逆照射の要領であかるみになってしまった いままで人生を少しでもよくしようと、いろんなものを解決したり、乗り越えたりしてきたが、往々にして解決などにより状況が一変した、その前後で主観的な苦しみの度合いはまったく変わらない どんな状況でもなぜか器用に落ち込む デフォルトで苦しい主観で24時間休みなく過ごすこと自体もしんどい し、状況に関係なく気分の浮き沈みが(しんどい←→死ぬほどしんどいの違いではあれど)あるのもしんどい 私にどうしろって言うんですか?
話はそれたけど私のことは誰も助けてくれなくて当たり前というか、それが順当 ありかたとしてもそうだし、私は本当に、客観的に取り立てて救済すべきところのない恵まれた人生をおくっている ちょっと将来が危ういけれどそれは自業自得
そんな御託を全てぶち壊して私を助けてくれる誰かに本当は心の底から存在してほしいのですが、これはステロタイプな愚衆に似た、他人を消費する心構えの傲慢さ
こうなるからやはり、まず自分のことも助けられない人間が他人とどうこうなることを考えるべきではないのかもしれない
こんな調子で自分のことに手一杯だから当たり前なんだけど、他人とのかかわりかたがほんと終わってて、大袈裟に言うと現状自分のあらゆる交友関係は向こうの方からの善意で成り立っている(としかいまは考えられない) 言い訳の余地がないほどのテイカー 自ら働きかける力ない いずれ全ての人間に忘れ去られゴミ捨て場などでくたばることでしょう 死に様からして遺体の引き取りてもなく、発見時から恐らく自治体のみなさんにご迷惑をおかけして、恥…………いまのうちに死んでおくべきかもしれない 楽になりたい
高校のクラスがなくなり、部活がなくなり、研究室から同期が去り、あたりまえのように他人に働きかける場にこれまで自分がどれほど依存していたか、浮き彫りになっている 何年も思ってきたけど自分が他人に干渉する=加害行為という思い込みをなんとかしないといよいよまずい、孤独死
近所の友だちの家に泊まってる友だちが、泊まってる間はいつでも来て、って言ってくれた
それを聞いてなんだか途方もない気持ちになってしまって、帰ってなにも手につかなかった
人と仲良くなるってどうすればいいんだっけ?人と仲良い状態ってなんだ?私は互いの家への出入りがあたりまえになるくらい人と仲良くなったことがない、言うまでもなく家への出入りなど指標のひとつにすぎないが、家主の友だちとは私のほうが年単位どころでなくつきあいが長いのもあって、私が自室に籠もって些事(当事者にとっては命取りだが)をこねくり回しているあいだに、あなたがたは随分なかよくなって、あらまあ……と、かなり簡略化するとこういった気持ちで心がいっぱいになったのです
ここ数年で前から仲良くやってたコミュニティのみんなとうまく話せなくなったこととか、交際相手のこととか、いろいろあるんだけど
世界のすべてから自分が取り残されてるような気持ちによくなる 仮にそれがほんとうだとしても結果そうなっただけであり、誰も悪くなく、仮にそうでなかったとしてそれは私が他人から大切に思ってもらってることに気づけない、いいかげん、というか明らかにバカで恩知らずなだけなんだけど
努力もせず、他人の事情に考えも及ばさず、目先の眩しさだけ見えなくなって涎を垂らしてる 私があんまりなりたくないタイプの人間にまさになってる あーあ
かっこわるいなあバカだなあ怠け者だなあ
どうして自分のためだというのに自分しかいないというのに自分が良いと思えればたったそれだけで人生良いってことになるのに、いつまで時間を無駄にし続けるんだろう
でもやっぱりたくさんの この人たち昔よりずいぶん仲良くなったなあ、を眺めているうちに年をとって、たとえば明日世界が終わるとき、連絡をとれる人がひとりもいなくなってしまう気がする 私を余りとしてそのほかの人類のすべてが親愛の殻の内側に居場所を持っている気がする
育てられ方や特性のせいにならいくらでもできるが、自責がいくぶんか軽くなるばかりで現状はなにも変わらないのでやめる
でも育てられ方にもだいぶ原因があるよね、ということをこの記事を読んだ私は思い出してください やすみなく緊張する暮らしを十何年もしてたんだから、苦しいのももう癖だよね しょうがない相性が悪かった 私の代わりにもっと強くて正しい人間が生まれてればこんな事故った家庭になってなかったんだろうがまあしょうがない みんな良い人だからね
本当はよくないけど、過去のせいにしたって何も解決しないけど、とりあえず今日はそれで眠れるようになっておいて
昔の記事なんて読み返すのは自分が嫌すぎて眠れないときくらいだろうからね
というか繰り返し書くけど私は本当に信じられないくらい人に恵まれていて、それを理解はしているが、自覚に落とし込めていない 自覚すれば自分からも動ける、ちゃんと行動レベルで人とうまくやっていける気がする 言葉の問題にすぎないけど というかはやくそうならないと見捨てられる、という強迫観念にもにた(懐かしい、二度と味わいたくない)恐怖がずっとある それでますます動けなくなる この流れをどうにかしないといけない
ほんと、人恋しさに寂しくて病んでいるせいで人から遊びに誘ってもらっても断る、みたいなことばかりしている お腹が空いているからごはんが食べられないみたいなばからしさ
なんかいろいろもっとたくさん考えたけど疲れたし言葉が頭を駆け回って息がおぼつかない状態からは抜け出せたのでもうおわります
このように私は今日も不安がって泣いて駄文の生成に時間を費やしましたが、この間にも人付き合いのできる人たち(ほぼ仮想敵だ)は人付き合いを深めているだろうので(仮想敵の仮想行動だ)、鬱傾向のある人生は本当にコスパが悪い。