1953年、ジャーナリストのミルトン・メイヤーは、フランクフルト大学社会研究所に客員教授として滞在していた。メイヤーは、一般のドイツ人がナチス・ドイツをどう感じていたかを調べるため、ヘッセン州にあるマールブルクという町の住民10人にインタビューをした。
そのインタビューを元にして書かれたのが、"They Thought They Were Free"(『彼らは自由だと思っていた』)だった。
本の中では、町の名前は「クローネンベルク」に変えられ、実名と所在地は明らかにされていない。大学を擁する人口2万人のこの町は戦後の占領期に米国の管轄下にあった。
インタビュー対象者は、10人全員が中流以下の階級に属していた。職業は、パン作り、家具作り、銀行事務、手形回収、警察、営業、学生、仕立て屋、教師などであった。
仕立て屋はシナゴーグに火をつけて服役していたが、他の者はユダヤ人を活発に攻撃していたとは認められなかった。
メイヤーは、インタビュー対象者はナチス時代に良い思い出(fond memories)があり、アドルフ・ヒトラーを悪とは思っておらず、教師を除いて、ナチス支配下で自分たちは高度な個人の自由を持っていたと認識していると書いている。それに加えて、上記教師以外は、ユダヤ人をまだ嫌悪していた。
この書物を巡っては、インタビューの方法論から解釈まで様々な議論がいまだに続いているが、ここでその議論に参加するのが目的ではない。
ここに取り上げた理由は、この作品が小説でも詩でもなく、ノンフィクションであるということ。そこには、普通の人々の生の声が記録されていることに価値があると思ったからだ。
ここに現れるナチ政権下の普通の人々は、彼らは自分たちの自由が侵害されているとは思っていなかったが、それは暴力で脅されて、そう思わされたわけではない。
戦時下の日本の普通の人々はどうだったのか?丸山眞男や鶴見俊輔はそこに切り込む。そして、彼らを圧倒的に嫌悪する者が現れる。日本の民衆全てが暴力の恐怖に脅されて嫌々戦争に協力させられたというのは、美談過ぎないだろうか。
暴力という恐怖が存在したことは否定しない。しかし、それだけでは説明つかないものが必ず残る。逆から言えば、全体主義は暴力だけでは完成しない。
メイヤーの言う数百のステップの何段目にいるのかを今、自由だと思っている我々も考えてみても良いのではないだろうか?
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【参考】下のライブでは、こういう話もします。