自立
未だに日本には
個人という社会的概念はなく
集団から排斥されて
初めて個人が抽出される。
つまり個人は最初から
ネガティブなものであり
集団と対立している。
言うまでもなく個人は集団の構成要素で
集団の利益と
最初から対立するものではない。
同じように
自立には
集団から離脱するというイメージがある。
この社会で
自立というのはまるで出家と似たようなニュアンスで語られることがある。
もたれあいや
相互依存が基盤となっている社会では
自立は不吉なこととして
あるいは特別なこととして語られる。
社会や家族が
何か内包している大切なものがあって
自立はその何かと
対立するかのように語られてしまう。
「これからは自立しないと、個人も会社もやっていけないですよね」とか「変わらなければ何も生まれないですよね?」的なことはよく聞かれるし、よく耳にする。
自立、あるいは変化、というのは必ず具体性を帯びているはずなのに、
何によって自立するか
どう変わるかは
問われることがほとんどない。
個人の自立は、何らかの経済力によって初めて可能になる。
そして経済力を考えるには、やはり教育(正しい情報)と時間が必要である。