あなたはいったい何者なのか。
シン・ドヒョン/ ユン・ナル著「言葉の力」目次通りnote記事を書いていこうシリーズ!第二回目のタイトルは「善を思わず悪を思わず、善悪に二分することなく見よ」
汝の本来の顔は何か? -慧能(えのう)-
長く生きれば生きるほど「ものさし」ができてしまう。現代社会にも全てのものごとに善悪があるように感じる。その判断基準は誰が決めたことなんだろうか。祖先が決めたこと?今までそうだったんだから、そうに違いない!と勝手に思い込んでしまっているのではないか。
周りの判断基準ではなく、己はどうしたいのか、「あなた」はいったい何者なのか。と問われている。
よく耳にすること。高校を卒業したら大学を出て就職をすることが当たり前だと。そこに自分の意思はどれぐらい含まれているのだろうか。わたしはどうしたいんだろう?って考えただろうか。
正直、全く考えていなかった。高校の次は大学でしょ。それぐらいにしか捉えてなかった。今でもよく考えるのが、中学から高校へ上がるときも、高校から大学に上がるときも、「わたし」が本当に好きなものは何か。「わたし」の本当の夢は何か。って考える力があったならば、人生はどうなっていたのだろうかと。
最近出会った人の話。「なぜ鍼の先生になろうと思ったのか。」高校生の時に身体を壊し整骨院に通い出したのが始まり。いろんな話をしてくれたり聞いてくれたりすることで、お店を出る時には心までが軽くなっていた。その経験が自分も誰かの背中を押したり、心を軽くさせる人になりたいと決心をさせた。
学校の先生に整骨院で働きたいと伝えたら、反対をされ、今まで応援をしてくれていた人たちが手のひらを返したようになった。自分はそうはなりたくない、背中を押せる人でありたいと、より一層目指す心が強まった。
高校生の時に、自分がなにをしたいのかを真剣に考えるタイミングがあり、行動に起こせている人がいる。誰かが作った慣習や線路にのるわけではなく。
今現在彼女は29歳。やりたいことで溢れているという。
わたしもそんな人生を歩んでみたかったと、ふと思う。
今からでも遅くないはず。
「わたし」はいったい何者なのか。なにが好きなのか。夢はなんなのか。
どんな慣習でも善悪にもとらわれず、考えてみよう。
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