東京都知事選:日本のエスタブリッシュメントが空洞だ。
日本で大きな選挙がある度に何か大きな空白、孤独を感じる。
東京では90年代から青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、そして小池百合子という連続性。エスタブリッシュメントからそこに割り込める奴がいないという事態。
東京都の有権者の約32%が小池氏に投票した。
小池百合子の今回の得票は歴代二位、366万1371票。
東京の有権者数11,444,260人(令和2年6月現在)。
(『選挙人名簿登録者数の推移』0206_00.pdf)
https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/election/senkyoninmeibo/
東京は有名大学の数が多く、大卒者の数も多いであろうことを考えると、単に大衆が愚かでTVと新聞とYahoo!ニュースばかり見ているから、とは言い難い。優秀な大学を出て東京で働く層の一定数が小池百合子か、もしくは小野泰輔あたりに投票している(小野泰輔は山本太郎に次いで四位、得票率10%)。一部は桜井誠にも投票していそうで怖い。
逆にエリートもその意味では大衆化してしまった、とは言えるかも知れない。
また、都市部は保守的になりにくいはず、という傾向から見ても、これはなんじゃ、と思わざるを得ない。
日本のエスタブリッシュメントが空洞だ。
排外主義に対して、そしてコロナのような時に、最低限のコモンセンスを持って思考できる人、そして現実的にそうした非立場主義的な政策を実行していける組織もない。あっても力がない。
具体的には最低限、マクロンやボリス並みのことをしてくれる人がいない。さっさとコロナで困窮する層に必要な措置ができるような現場の体制も、それを的確に進められるトップや官僚層もない。
田舎の地元の小学校から東京の国立大まで、離島から三大都市圏から海外まで、知り合いは散らばっているけれど、大卒や学歴がそれなりにある人で政治や社会的な話題で話ができる人は限られている。
実家ではそういう話題が出ても普通だったし、海外に出て余計に感じるのは、特に一定以上教養のある人はそういう話をさらっとも、しっかりもできる。
大学時代に政治に関心の高いサークルに属してきたので、旧友で政治家になった人も何人かいるけれど、ネオリベか極右寄りなことが多い。やっぱり何かぽっこり空いた穴を見ている感じがする。
また、中卒と東大卒でそこまでニュースを見ながらする話の実質的なレベルが変わらないことが多い。そういう話をする場面すら少ないけれど、そういう時に感じるのは空洞というよりもはや虚無だ。
ちなみにエスタブリッシュメントが何かについては、単に政治的に右か左か保守か革新か何とかか、ではなくて。
科学的・実証的に状況を把握して、それなりに荒んでいない人の心を持って、現実的に政策を運用できるような層のことをイメージしている。
そこがいくつもの意味でガラガラに崩壊している。官僚の多くは未だに学部卒だし、そもそも東大を出ても政治的教養がない。
あと、おかしいと思っている官僚はいっぱいいるだろうけど、これはおかしいと思ってもその現状を変える勇気も力もないことが多い。相当多くの官僚がそうして官庁を離れたりしてきたろうに。それか、下手にその世界に留まると変質してしまうか。
この論点自体、一種もう私が学生の頃から議論されていることではあるけれど、そういう層は充実するどころか更にボロが出てきているようにしか見えない。
これは国がまともに教育ができる余裕があって、それなりに安定した民主的な国の仕組みがあって、何世代もかけて築いていくようなものだけど、100年経ってもその足がかりすら見えていない。
付け加えておくと、その点で安冨さんが、東大自体が、そして日本の津々浦々が「立場主義」だということを発見したことの意味は改めて大きいと思う。
まさにエスタブリッシュメントボロボロ、ということなので。
誰がそういう意味でのエスタブリッシュメントを再構築するのか?エスタブリッシュメントがボロボロなので再生産はできないし、そしてそれにあまり気付いてもいないので、再構築しようとすることもない。
これは本当にズブズブのポピュリズムになってしまう。日本の貧困化が更に進めば、立場主義に欠かせない立場自体が減っていく。立場主義が崩壊して立て直せる層がおらず、ポピュリズムだけ残った日本を想像して見て欲しい。
まだまだ日本人は日本人のことを知らないし、支配層と呼べそうなものは自ら崩壊していっているのに気付いていない。