⑫あの頃のようにまた青春がしたい、と比嘉は言った。比嘉大吾VS堤聖也
連載の続きをなかなか書き進められずにいた。
比嘉大吾について、どこまでどう書くべきか判断をつけ難かったのだ。
頭を悩ませていたのは、彼の心のありようについてだった。それはボクサー比嘉大吾の本質、強さの根源に関わる重く大きな問題であって、書くことに躊躇してきたのは、言うまでもなく彼が現役だからである。
堤聖也との試合。比嘉は防御スキルや堤が「大誤算」と言った高精度のジャブなど、これまで披露しなかったスキルを見せた。堤によって引き出された引き出しと言えるかもしれない。
だが、誰もが期待した「比嘉らしさ」は不発だった。
フライ級時代、比嘉は焚きつける必要のない選手だった、という。
「大吾は、開始のゴングと同時に、極端な言い方をすれば先に殺さなければ殺される、という獣の状態に一瞬で入るんですね。そしてこちらの予想を遙かに超える、とんでもないパフォーマンスを見せる。ある意味セコンドとしては非常に楽をさせてもらえるという、そういうボクサーなんです」
その野木トレーナーが堤戦で初めて行け、と言い、「使ったことのない乱暴な言葉で」幾度も挑発した。それでも比嘉は行かなかった。行けなかった。
野木トレーナーには「可能性は低いがあり得るかもしれない」想定内の比嘉だった。
10月26日の試合当日に公開した記事で、
「あと2、3戦は誰が相手であろうが、比嘉大吾対比嘉大吾の戦いです」
という氏の言葉を載せた。
「大吾が大吾を取り戻す戦い」の意。
比嘉がボクシングから離れていたのは2年。2年はやはり、歳月として長かった。
いったん戦意を失い、ボクシングからぷつりと心の糸が切れた人間が、一点の曇りもない戦意、ボクシングだけに賭ける100%の覚悟を取り戻すことの困難と、2人はずっと向き合ってきていた。
叱咤やプレッシャーを与えることが効を奏するボクサーならばそうした。だが、比嘉の繊細な性格を熟知している野木トレーナーは、ときに誘導しつつ、だが重圧はかけず、この教え子が、戦う心の火種に自分自身で火を灯すのを辛抱強く待ってきた。
戦う火を取り戻したがっているのは誰より比嘉自身であり、そして意志とは別の何かに阻まれ、自分でもどうにもできず、もがき苦しんでいることをわかっていたからだ。
だからこその「あと2、3戦」だった。
もちろん原因のすべてではない。だがあの日の比嘉を書く上で、その心の問題は避けて通れない。
だから書けるタイミング、つまり比嘉大吾の心が復活の兆しを見せるのを待っていた。
もちろん実際に復活したかどうかはリングでしか確かめられない。だが、少なくとも、彼の発言や声から変化は受け取れるのではないか。
練習を再開した試合の1週間後。それから数日前。二度、比嘉と話す機会をもらった。
野木トレーナーからも試合直後からの日々について話を聞いた。
そして今、続きを書き始めている。
繰り返すが、次の戦いを見てみなければわからない。だが私の中で、であるが、光が見えた気がしたこと。
そしてもう一つ。先日放映された比嘉と野木トレーナーを追ったドキュメンタリー番組を見て、私から見えた比嘉大吾を書いておきたい、と思ったこともある。
比嘉とは、あの番組についても少し話をした。
「番組に映ってた俺、クズですよね」
「試合のあと、いくつか段階があってですけど、気持ち、戻ってきたんです。でもあれを見て、さらに、そう、シンプルに頑張ろう、と思いましたよ」
試合前の比嘉には、言葉の端々に迷いのようなもの、揺らぎ、不安定さといったものが滲んでいた。
今、比嘉の声と言葉からはそうしたものが消えていた。
「俺、今またね、フライ級時代のようなボクシング漬けの生活がしたいってすごく思ってるんです。あの頃みたいに、俺、青春したいんです」