母のこと
母はアルツハイマーです。
発症は10年くらい前。
母の父(祖父)もでした。
母は元気な頃から私はアルツハイマーになるんだと言っていました。
当時は今ほどアルツハイマーの研究も進んでいなくて、運動不足がよくないとか、もしその頃わかっていたなら、母はきっと一生懸命運動していたと思います。
ただ、私は思います。
母がいくら予防に努めていたとしても、アルツハイマーになっていたのではないかと。
ただの勘です。
母の父(祖父)、そして母の父の弟がアルツハイマーとなり、アルツハイマーは遺伝するなんて噂も聞いたのかもしれません。
母は予言者ではありませんが、自分の未来をピタリと言い当てました。
父が退職した後、二人は毎年海外旅行に行っていました。
私が少しお金の心配をしてしまうほどでした。
今でも実家の壁には旅行先での写真が飾られていて、どこか寒い時期のヨーロッパ(ロシア?)での二人の笑顔の写真もあります。
10年弱そんな時期が続いた後、アルツハイマーになりました。
今、母はほとんどしゃべらなくなりました。
尖った言い方をすれば、母の形をした何か別のものになった感覚です。
半分死んでしまったように思うこともあります。
実際脳細胞が死んでいるわけなので、半分死んでいるという言い方は間違っていないのかもしれません。
宇多田ヒカルさんの「花束を君に」という歌があります。
この歌の君は藤圭子さんのことだそうです。
母は「普段からメイクしない」わけではないですが、この歌大好きです。
母のことはたぶんまた書くと思いますが、私は母のことがそんなに好きではありません。
でも、こうなってしまった今、やっぱり「花束を君に贈ろう」って気持ちになります。
母の人生はゆたかだったのでしょうか。
私は100%ゆたかだったと思います。
母の不幸は大きく言えば3つ。
アルツハイマーになったことと姉が自殺したことと、両親がぼけたこと。
でもそれを補うくらい幸せがあった人生のように思います。
本人にはもう聞けませんが。
見舞いに行くと母はいつもにこにこしています。
前は「あら~よしこちゃん」と鹿児島弁のイントネーションで言ってくれたのですが、今は「あら~」すらでてきません。
でもにこにこで、私が自分の娘であることはかろうじてわかっているようです。
ゆたかさって何だろう。
ほんとゆたかさって何でしょうね。