自分と地域は繋がっている
自分と地域・・・・・
今回はそんな自分と地域のお話。
さあ、何から話そうかと思ったけど、僕は今大学に行っている。
こうやって大学に行けているのも、親が汗水流して働いてくれたおかげで大学という選択肢ができて、それを自分で選んで僕は大学に行けてる。
小学生や中学生の時に、地域のおじいちゃんが横断歩道で旗を振りながら車を止めてくれたおかげで、安全に横断歩道を渡れていた。そして、いつも「おはよう!」って挨拶をしてくれたことが、嬉しかったし、毎朝気持ちよく学校に行けていた。挨拶っていいなーっ思えてた。
家の前には、横に広がる一つの山がある。夏になると、年に一回だけ山の頂上に「大」という文字が火で書かれる。遠くからでもその文字は見ることができる。
こんな感じw
この「大」の文字が書かれている時は、親と「今年も夏がきたね〜」というような何気ない会話が生まれる。そして、この火で書かれた「大」の文字は、眺めているとすごく心が落ち着く。地元にこれがなくなってしまうと、寂しくなる。
これも地域の方達が、山を整備してくれていたり、周りの木々が燃えないようにきちんと安全に管理して下さっている。
小学校の時に、地元のコミュニティーセンターの体育館でドッチボールやバスケ、バトミントンなどの室内スポーツを友達と遊ぶ時はずっとしてた。これもあってか、今でもスポーツをすることは大好きだし、じっとしているより体を動かしている方がいい。
確か、この体育館は無料で使える時間があったり、その時間を超えても10円ぐらいで利用できた。こういう場所がなかったら、もしかしたら僕はスポーツが好きじゃなかったかもしれないし、バスケやバトミントンのようないろんなスポーツも経験してなかったかもしれない。
小学生の時は、カードゲームとかDSをずっとしてたから地元にこの環境がなかったら、多分スポーツなんかあんまりしてなかったと思う。
そして、こうやって自分と地域を考えていると気づいたことがある。
それは、自分と地域は繋がっている。
これは、最近ずっと考えてたことで自分の中でも腑に落ちていなかった。しかし、こうやってnoteを書いてるとこうなんじゃないか?程度に少しだけみえてきた。
友達や後輩に「おはよ!」「おつかれ!」「じゃね!」って、言われて嬉しくなったり、自分でも明るく言うようにしてるのは、今思えば横断歩道にいたおじいちゃんたちが挨拶してくれてたおかげで、挨拶っていいなと思えたからかなーとか。
今、体を動かしたりスポーツをするのが好きなのは、地元にスポーツができる環境があって色々なスポーツができたことで、スポーツって楽しい!全力でやっていっぱい汗かくのって気持ちい!そう感じたから。
火をみると心が落ち着くのは、これは上に書いている「大」の文字を小さい時からみていたこともあるし、地元の公民館で小学校の時にどんど焼きという行事があってその時にみた火が今でも印象的だったから。
これがどんど焼き。
燃え盛る火をみてるとその時は何も考えずに、ボーとできて心が落ち着いてた経験があるからだなーと。
今思えば、自分というのは少なくとも地域と繋がっているんだなってことに気づけた。中学校や高校と、学校に行って勉強して部活して家に帰ってまた学校に行っての繰り返し。忙しすぎて、地域のことなんか目を向けたこともなかった。
しかし、今やっているプロジェクトを通して、地域の課題なんかがみえてきた訳ではないけど、前よりは自分の住んでる場所に興味が持てているし、自分の地元を違う視点からみれるようになれた。
このことに中学や高校の時に気づけていたら、もっと自分の住んでる地域に目を向けれていたし、大切にできたなーって思う。
すごく貴重な経験ができてる。
こう思えるようになったってことは、少しでも視座が上がってるってことかな!
さ!
これから寸劇やワークやファシリテーションなど、色々と作っていく段階に入ってきた。これが『理で組み立てる』段階なのかな?
どんなプログラムができるのかワクワクしてます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。