陰キャな僕と謎のアメリカ人がくんずほぐれつして、今の僕は在る。(自己紹介)
なにから始めてみようか。
そんなことを考えていたら、noteのアカウントを作ってから、(たぶん)一年以上が経過してしまった。
どうだろう。初っ端はとりとめのないスタートになりそうだ。
自己紹介というほど、大げさなことも形式ばったこともない。
今だって、無駄に字数をかけた、小学校時代の読書感想文や大学時代の論文みたいになっているだろう。
それでもはじめてみたので、自己紹介をまずはしてみようと思う。
(ここからは長いので覚悟をしてください。覚悟できない方は、どうか目次で「こうして、今の僕は在る。」へジャンプして、それだけでも読んでいってくれると、うれしいです。)
アメリカ人のおかげで陽キャだった幼少期の僕
両親が共働きだったので、幼きころから絵本をたしなみ、時間があればレゴブロックで勝手に英雄譚なり復讐劇なりのお話を夢想しながら時間を過ごしてきた。
近所のおままごとが好きなN太くんが唯一の友達だったが、やっぱり今振り返ってみてもそれほど仲は良くなかったなと確信するほどには深い仲の友だちはいなかった。
かわいがっていた飼い犬には手を噛まれ、坂を走って下れば顔からコケて皮膚ムケムケ。今でも目元には傷が残っている。
と、改めて振り返っていくことで、少し心が傷ついたので、詳細はこの辺までにしよう。
つまり、言うなれば陰から人生をスタートさせたわけである。
陰キャスタート。
しかし、小学校にあがる頃にはなぜか無駄に活発な性格になっていた。
おそらく考えられる理由としては、家に知らないアメリカ人が常にいたからだと思う。しかも複数。白も黒も関係なく、我が家をさも自分の家のように出たり入ったり闊歩するアメリカ人たちだ。
この人たちの陽気さに頭と心をやられて、アメリカナイズされていたのだと思う。
陰から陽へのクラスチェンジ! しかもアメリカ属性付き。
おかげで、この時はほんの少しの英語力と大きめのボディランゲージを身に着けていて、なんでか女子たちからモテにモテた。
ところで、このアメリカ人たちは何者だったのか。
僕の記憶が確かなら、親父の仕事関係の人たちだったと思う。
なぜこんなあいまいな言い方になってしまうのかといえば、もう親父がいないからだ。
といっても、亡くなったのではなく、蒸発しただけだけど。
このアメリカ人たちとは今となっては何の繋がりもなく、正直名前さえも覚えていないので遠い遠い懐かしき日々の1ページでしかない。
ただ、こんな経験もなかなかできないだろうと、ちょっと自慢したくてここに書き記した。いいだろ。へへ。
奇行と映画にまみれた中学時代
そんなこんなで中学生になる頃には、すっかり身についた英語力は一般中学生レベルでとどまり、大きめのボディランゲージは奇行へと進化した。
授業中でもお構いなしに(誰かが笑ってくれる限りは)ボケ倒してみたり、廊下に出ては奇行仲間たちと手押し車対決したり……。
こう書くとしょうもないクソガキだ。
とにかくこの頃は、人と違うことをするのが至上の喜びであり、そんな自分かっけえ! だったんだと思う。
そのおかげで、この先の人生において割と苦労するわけだけど、それはまた別の話なので、ここでは割愛したい。
そんな中学生の僕は、友人たちの誰にも言っていなかったが、映画に明け暮れていた。
それもこれも両親が共働きで、アメリカ人たちの出入りがなくなったせいだろう。時間はあったのだ。
金ローで放映された映画を親が録画して保存していたのもあって、見るものには困らなかった。録画したVHSに気分が乗らない時はレンタルビデオ屋に行って物色しまくった。
ツタヤのポイントで買える映画紹介本を手に入れてからは、見た作品にチェックを付け、監督縛り・俳優縛りで映画を見られるだけ見ていった。
中学校時代はそんな風に時間が過ぎていったと思う。
学校では奇行に走り、授業中に学級崩壊しかねないことをして、家では一人で黙々と映画を見る。
絵にかいたような、思春期ど真ん中な青臭さとイカ臭さ漂う中学生が出来上がっていた。
陰から米寄りの陽、そしてイカ寄りの中学生へ。
幸いにも人生の宝ともいえる友人たちには恵まれ、今でも当時と変わらないくだらなさとバカさの溢れる時間を過ごせているので、そこはよかった。
反省文のための反省文が書けたのは、小説のおかげだね
高校生になってからも、相も変わらず奇行種だったと思う。
制服が学ランの学校だったにも関わらず、上下スウェットで登校してみたり、授業を抜け出して寿司を食べに行ったり、授業中に中庭で奇行仲間たちと手押し車対決したり。
おかげで毎週のように、奇行仲間たちと視聴覚室に缶詰めにされ、反省文を書かされていた気がする。
反省文もはじめのうちは、まじめに事の顛末を書き記し、「反省して、心を入れ替えます」みたいな内容だったのが、回数を重ねていくうちに、誰が一番文学的に書けるか対決だったり、同じ書き出しで書き始めたらどれだけ結末や過程が変わるかの実験だったり、という遊び場に変わっていった。
反省文の書き方に対する反省文を書いたことがある人はそういないだろう。これも自慢である。へへ。
と、まあ、一見、無秩序にモラルなくアホ丸出しな行動ばかりしているが、実はこのころには読書にハマっていた。はたから見ればインテリ。
きっかけは映画の原作小説に手を出したことだった。しかも、ホラー短編集だ。なんの本だったかは正直思い出せない。ただ、なんとなくツタヤに行ったときに、この文量ならすぐ読めそうだと思って買ったものだったと記憶している。
そのホラー短編集を皮切りに短編・長編限らずホラー小説を読み、ミステリーへ移行し、シャーロック・ホームズに無駄にはまって、洋物へ。フランツ・カフカの「変身」に衝撃を受け、カフカの本を集めるもあまりの意味不明具合に挫折(いまだ読めていない)し、国内の作家のエンタメ小説を読むようになり、時代小説から新書、ビジネス書、果ては美術書など手当たり次第に興味の湧く本をジャケ買いして読み漁っていたら、大学4年生になっていた。
タバコとセックスと退廃的日々のアニメ論
周りはみんな就職活動だ卒論だと騒ぎ立てていたが、僕はまるで就職活動する気なし。卒論だけはやっておかないと来年も通うことになるから、と卒論はちゃんとやろうと決意する。
メディア系の学部だったため、なにかメディアに準じた内容の卒論を書かねばと、その当時付き合っていた同じ学部に通う彼女と相談し、アニメを題材とした卒論を一緒に書くこととなった。
時は2006年。
2021年現在とは違って、まだまだアニメは一般的ではなく、『オタク』という呼称には多少の侮蔑の響きがあり、アニメを見ているだけでオタクと蔑まれる、そんなギリギリの時代ではあったが、着々と土壌は整い、盛り上がりつつあるカルチャーへと進化している時代でもあった。
新世紀エヴァンゲリオンの社会現象化
製作委員会方式の採用と定着
深夜バラエティ番組内でのアニメ放映
深夜アニメの放送枠増加
ニコ動の誕生と同人作品の拡散
アニメ史に残る良作・名作が続々誕生
そして、未来へ
ざっくりといえばこんな流れ(だったと思うけど)を辿って、アニメは流行していき、日本にとっては欠かせない産業になっていく、そのファクターは何なのか……的な論文だったと記憶している。
ゼミでの評価は最低でしたがね。
とにかく、その論文を作成するにあたって、当時付き合っていた彼女と流行っていると言われたアニメを見ては、セックスし、バイトへ行ってはまたアニメを見て、タバコの煙をくゆらせながら、この作品の面白い部分は何か、監督はどうだ、作画はどうだ、声優はどうだと論じ、論じ飽きたらセックスをする。というような湿ってこもった匂いのする日々を過ごした。
なんて退廃的。今思えば夢のような日々だ。
論文のためとかこつけて、「涼宮ハルヒの憂鬱」、「ひぐらしのなく頃に」、「Fate/stay night」、「まりんとメラン」を見たりしていたんじゃなかったっけな。
「まりんとメラン」については、見ていると鬱な気分に落ちていく過程で、なんかムラついてくる(彼女談)とのことで、たびたび女性型モノマキアに襲われ、見終わるまでに話数以上の時間を要したのを覚えている。
こうして、今の僕は在る。
人生において、そんなに大事とは思えない瞬間というのはたくさんある。
謎のアメリカ人との邂逅、親父の蒸発、奇行種としての手押し車大会、セックス、タバコ。
人によっては、いやいや重大事やないか!という意見もあるかもしれないが、当の本人にとっては意外とどうでもいいことのように感じたりするものなのだ。
でも、それでも、たしかにどうでもいいことなのだけれど、それらのエッセンスは確実に欠かせない僕の構成要素であり、DNAに刻まれた"何か”になってしまっている。
そして、その「DNAに刻まれた"何か”」のクセのおかげで、僕は映画・小説・アニメを渡り歩くことになったんだと思う。
ストーリーコンテンツの血を取り込み、作品に染み付いた製作者たちの汗の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、演者たちの輝きに目と耳を焦がし、今の僕はここに在る。
今回は、僕という生き物はこんなやつなんです。こんな生き方してきたから、映画・小説・アニメがめっちゃ好きになって、いっぱい食べてきたんです。ということをお伝えしたくて、長々と、取り留めも、まとまりもない言葉の群を並び立ててきました。
今のところは、これまで食べてきた&これから食べていくであろう アニメ・映画・小説・ゲーム等、ストーリーコンテンツのレビューを中心に記事を投稿していこうと思っています。
これからnoteのいろいろな機能も使いこなせるようになったらいいな。なんとなく継続して書いて行ければいいな。と、ほんの少しワクワクしながら、または心のどこかで「うわあ、飽きそう……」と思いながら、それでも、投稿していくので、末永くよろしくお願いいたします。
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