
はてブ民が事実でない話に騙されやすいのは「ロジカルシンキング信仰」があるせいだと思う
ロジカルシンキングって大抵そこまで論理的じゃ無いんだよな,大体は説得力のあるストーリーのことをロジカルと言ってることが多い。
— やや無情 (@yayamujo) June 8, 2024
逆に理系のアカデミアの人たち、論理は合ってるのかも知れないがマジで聞いてて何言ってるのかよく分からん。けどなんかとても楽しそう。
結構普通に、
— やや無情 (@yayamujo) June 8, 2024
「AだからB, BだからC。だからCだとAです!」
みたいなプレゼンをよく見かける。ビジネス上はそれでよいと思う、がそれを”ロジカル”って言うのは少し違和感があり過ぎる。
AならばBと主張する場合、B以外が無い証明をしないのが気持ち悪くない…?
— やや無情 (@yayamujo) June 8, 2024
理路整然と語ってたら、それが事実であると勘違いしちゃうやつ。
理路整然と語っていると「処理流暢性」は高まるけれど、読みやすいわかりやすいは正しいを意味しませんよって話ですね。
特に専門領域についてやたらと簡素でわかりやすく語ってくれてる話って、その人がよほどの専門家でない限りむしろ危険だと思ったほうが良いくらいだと思ってます。
kjkw 当該増田のブコメを見て、お前らふろむだ氏に言われたばっかりだろというのが最初の感想だった / とはいえこの増田の内容だって正しいかわからず、きちんと調べない以上鵜呑みにできないということは理解しておき
書き手側になってみれば、よくわからん人間が何かを簡略化して語ってるのを信用できないってのはわかるはずだ
私は何かを簡略化して語るのってめちゃ怖いと思ってて、やりたい時はその前にまるで言い訳のように整理されてないぐちゃぐちゃの長文を用意しておくことが結構あります。
バーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」の構造はもちろん理解しているが、こんなもん一回理解しただけですぐできるわけがない。結局言いたいことはまず思いつく限り吐き出して、それを構造にしたがって吐き出すという過程で何度も何度も試行錯誤が要る。

何度も同じことを語ろうとしている中でちょっとずつ枝葉末節が削ぎ落とされていくわけで、だから私は何度も同じことをブログで書くことになる。
先日、「よしきさんってずっと同じこと言ってて、実は引き出しは多くないですよね」みたいな話があったけれど微妙に言い方がひっかかった。まぁ実際話題の引き出しは多くないのでそこを指摘される事自体は問題ないのだけれど論理のつながりがちょっと気持ち悪い。「引き出しは多くないけれど同じことを手を変え品を変え語ってるから記事が多くなる」って話であれば納得できる。
私は器用な人間ではないので、何かを簡潔に話をしようとすると何度もそういう試みが必要になるし、何かを的確に伝えようとするとしっくりくる当てはめができるようになるまでいろんな言い方を試す必要がある。
こういう壁打ちを一人でできるからこそ、私はブログというものが必要だし、ブログというものに助けられてきたと思ってまする。
それはそれとして恒例のはてブdisタイム(読む必要なし)
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?