
「ペリリュー」楽園のゲルニカ1 米軍4万 VS 日本軍1万
日本軍の最終的な生存者は34名(早期に降伏した朝鮮兵を除く)。つまり99%以上の兵士が死亡した。なお、その他の島では100%死亡したため記録が残っていない。少ないながらに生存者がいたからこの戦いは記録に残っている。
組織的な抵抗は2ヶ月半で終わったが、50名の兵士が米軍の食糧を奪って立てこもり、3年も生き延びたのち降伏した。
最終的には43年9月から戦いが始まり、最後の34名が降伏したのは47年。
日本兵は異常なレベルで善戦し、圧倒的に物量で勝るアメリカ兵2500を殺害し、7000名以上の兵士に傷害を与えた。敵軍のアメリカ司令官ですらペリリュー島の兵士の奮闘を称えた。
我慢できずにやってしまった・・・。やってしまったものはしょうがないから読むしかないですね。2巻以降ははてなブログの方で感想書きます。
ペリリュー島はパラオ諸島南部の小さな島。グアムから1200km、フィリピンからは800kmの距離にあった

つまり、フィリピンの日本軍基地を守るための前線基地だった。
こんな小さな島なのに日本陸軍1万人が配置されていた。
日本は空母戦力が劣る代わりに各地に飛行場を建設し「不沈空母」として運用する方法でアメリカと戦おうとしていた。
その飛行場を守るために数多くの兵士がいろんな島に分散して配置されていたのだ。
そして本来であれば、そうした島々を日本の空母と航空隊が守ってくれるはずだった。
だが、あ号作戦失敗により、空母も航空隊も壊滅状態であったから、この島は無防備な状態だった。
ここにアメリカの大部隊が襲ってきた

戦力差を考えても数日で決着がつくはずの戦いだった
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