文章構成の能力がなくても言いたいことさえあればみんなブログが書ける ⇒音声入力だけでブログ記事を書く
これも1年くらい前にいろんな人が散々やってたことだけれど、今更ながら試してみる。
1:ChatGPTで文章を整形してもらう
2:そのうえで、文章執筆が上手なClaud.aiに「ブログ風の記事」にしてもらう。
3:その上で必要があれば修正する(今回はこれをやらずに)
口調や構成の好みを学習させることでより自分っぽくできると思うけどまだそこまではやってない。
あとは「Google NotebookLM」にさらに自分の書いたアウトプットを読み込ませまくって「過去にこういう話題について自分はどういうこと書いてた?」ってのを抽出してもらおうとかも試してる。
今回は「極端な解釈から抜け出す方法」というテーマで記事を書いてみることにした
1:まずChatGPTに向かって思ったことをしゃべって「聞き取り⇒整形」だけやってもらう
この部分からClaud.aiでもいいんだけれど、レスポンスが圧倒的に早いのと、区切らなければ2000文字くらいずっと喋り続けられるので私はChatGPTの方が好き。

実際に喋った内容はこちら(読まなくてOK)
私が昔から結構 悩んでいたこととして人の話をですね ちゃんとこう理解しきれない という問題 昔からあったんですけれども 特に悩みどころだったのが相手のその話のニュアンス とか グラデーションといったような細かい部分ですね あの程度 どのぐらいの程度でこの人は言ってるのかとかどのぐらいの温度でこの人はこういう発言をしてるのか っていうところがよくわからないというのが昔から結構 悩みどころでした 具体的に言うと何々さん 他の人から. あなたはこういうところは頑張ってるんだけど こういうところを. そこは ちょっと減らして逆に言うと こういうところ 増やしてください というかこういうところ もうちょっと頑張ってね みたいなことを言われた時があるんですねでそれに対して 以前の私だと頑張ってるね って言われてる方は本当はダメでもっとこっちの方を増やして欲しいと言われた方だけやらないといけないんだっていう風に受け取っちゃうんですよ. なので えっと 今までねやってたこと全部やめちゃってその 言われたことだけをやるっていうような そういうの極端な反応をしてしまうっていう人間だったんですけどとにかく ちょっとでもポジティブに言われたことはすごい頑張っちゃうね ちょっとでもネガティブに言われたことはもうしゅんとなってすぐ 全部やめてしまう みたいな そういう極端な反応してしまうことが普通によくやっていてそのせいでですね こいつちょっと 扱いにくいやつら なーみたいに思われていたし 自分自身でも今からすると何でそんな風な反応しちゃったんだろうって思うぐらいなんですけどまあなんかそういうね 極端な反応をしてしまう あるいは極端な 受け取り方をしてしまうっていうのがよくありましたで これまあ やっぱりちょっと. あんまりよろしゅうないというのは自分でも自覚してたので なんとか改善しようと思って取り組みをしてたわけなんですね で具体的にどういう取り組みをしてたのか っていう話をちょっと次にします. で具体的に言うと やっぱりですね あの 言われたことをですね 一度書き出すっていうことです 書き出してちゃんとその上で これはどう解釈すべきか っていうところを間に挟んで それをちょっとあのてノートに書く みたいなねそういうことを結構やってました やっぱりね その脳がやっぱり その頭で耳で聞いて頭で考えるだけだとどうしてもやっぱり 脳が極端に反応してしまうっていうのが どうしようもなかったんですよでどうしたかって言うと さっき言ったようにまず 書き出して自分がの頭の中だけにあるんじゃなくて それをちょっとあの自分の体の外にあるというか 目の前の でノートの方に一度出すっていうことを必ずやる でしかもその後 その質問者ですね えっと. それについて すぐ反応するんじゃなくてどういう風に受け止めるべきか っていうところを整理するという過程を. あの間に挟む 要するに 本当に瞬時に判断すると どうしても 極端な 受け取り方 極端な反応してしまうので そうじゃなくて こうゆっくりとですね ゆっくりと判断をするので. まあ それの書いたことも書く みたいなねことをやってましたで えっと まぁその時もやっぱり最初はね そうは言っても そんな 書き出しただけでもやっぱりこういうこと言われてんじゃないか みたいなね風なことをやっぱ思っちゃってたんですけどよくよくよ 文章を見るとそこまで極端なことは言われてないな ということが こうなんか じわーっと間置くとわかるんですよ その前に あの もう勝手に判断して極端な結論出してそれを元に動いちゃうからおかしかっただけで やっぱりね 自分でもその書き出してで眺めてですね でちゃんとその決まった 質問を投げてそれに対して こういうことじゃないだろうか っていう風に書き出してそれをまた眺めてみると 2段階 3段階っていうようにフィルターを入れていくと自分でもちょっとそんなに極端な 反応しなくなるというようなことがだんだん ねだんだん こうなってきたっていうことです. ねなんかほんと 相手の 別にそういう意図がない細かささいな表現とかに対して えっと これって. そういう私に喧嘩売ってるのかな とかね えっと これ私の言ってることを全否定してるのかな みたいに勝手に脳がね 誤作動で判断してしまうっていうことは今でもあります あるんですけど よほどね 相手のこと信頼してるとかでないと割とありますが えっとそうならないように 普段から割と 書き出して これはこういうことかな ということで解釈してでえっと自分は最初こう感じたんだけど こうじゃないかな っていうのは 訂正をね 訂正を入れていくことによって脳にあの 今君はこういう風に いつもすぐ解釈しちゃうけど それはちょっとあの極端 だからもうちょっとマイルに解釈すべきだよ みたいなねことを脳にちょっと教えていくというようなことをまあ23年ぐらいかな ずっと続けていったら昔ほど極端ではないし もしそういう感じでちょっとビビっとあの極端に受け取るのがねどうしても受け取ってしまった後でもまああのちょっとそこで. 一瞬 カット なっ て も よほどね その前から変な音がついてるとかでなければ落ち着いて対応はできるようにはなってきてるのかなとは思います 昔本当にこの特性のせいで色々ね 損してきたというか結構 ねちゃんといいことも やめてしまったりとかねそういうのがあったので ここは気をつけたいなと思ってます. やっぱりね なんか. これマジでえっとなんかどこまで伝わるかわかんないんですけど結構 本当にそんな性質だと思ってて えっと. やっぱりね ちょっとでも傷つけられるともうすぐ えいってやめてしまう みたいな特性って結構 本当にめちゃくちゃそんなんですよ 実際は相手も別にそれでね. なんかその80点ぐらいの点数つけてるんだけどここだけちょっと気になる なぐらいのねつもりで言ってることがあったりするんですね むしろだからいいいいよって言ってるつもり 今までやってるあなたの行いはいいよって言ってるつもりだったのに自分の発言のせいでね なんかこう その人 やめてしまったみたいになったら相手も気使って物言えなくなるじゃないですか. そういう風なのじゃなくて ちゃんと褒められてるとこは褒められてるなってでもやっぱ ちょっとここだけ 何点だから ここだけ直せばいいんだな っていうような ピンポイントのね あのマイナス点の指摘とかをちゃんとその大きさですね 過剰に受け取りすぎるとか無視してしまうとかそういうんじゃなくて まあ 適切な態度で受け取れるっていうのはすごい 大事なポイントだとは思いますので そこら辺はもしね 自分以外にも なんかそういう極端の受け取り方をしてしまう みたいな人がいたら一度ね えっと こういった取り組み なんかをしてみるといいんじゃないかなと思います.
2:整形してもらったテキストをClaud.aiに食わせて「ブログ風の記事にしてください」とだけ注文すればとりあえず記事ができる

Claud.aiではだいたいこういう処理をしてくれます。
このあたり、ブログ記事を書き慣れてない人は苦手でしょ。
全部やってくれるので、言いたいことさえあれば、たどたどしくても音声入力で喋ってしまえば、後はちゃんとブログ記事が出来上がります。日記であれば日記として指示をすればそれっぽく作ってくれます。

3:出てきた出力がこちら
極端な解釈から抜け出す方法:コミュニケーションの温度感を理解するために
今日は私の長年の悩みとその克服方法について、率直にお話しします。
私が抱えていた「極端な解釈」の問題
私が昔から悩んでいた問題の一つに、人の話を正確に理解できないということがありました。特に苦手だったのは、会話のニュアンスやグラデーションといった微妙な部分です。「どの程度の強さで言っているのか」「どれくらいの温度感で話しているのか」—こういった繊細な部分がわからず、コミュニケーションで困ることが多かったのです。
例えばこんな状況を想像してみてください:
「あなたはAについてよく頑張っているけど、Aは少し減らして、逆にBはもっと増やしてほしい」
普通の人なら、良い部分と改善すべき部分のバランスを理解するでしょう。しかし以前の私は、「頑張っている」と言われた部分が実はダメで、「増やしてほしい」と言われたところだけに集中しなければならない、という極端な解釈をしていました。
その結果、どうなったか?それまでAについてはすべてやめてしまい、言われたBだけをやるような偏った行動を取ってしまうのです。ポジティブな言葉には過剰に反応して全力を注ぎ、ネガティブな言葉には落ち込んで即座にやめてしまう—そんな振り子のような極端な受け取り方を繰り返していました。
改善への第一歩:書き出して客観視する
この問題を改善するために、私はいくつかの具体的な方法を試してみました。最も効果的だったのが「言われたことを書き出す」という単純な行動です。
なぜこれが効果的だったのでしょうか?頭の中だけで処理しようとすると、どうしても感情が先走り、極端に反応してしまいます。一方、紙やノートに書き出すことで:
客観的に内容を整理できる
感情を少し落ち着かせる時間ができる
「どう解釈すべきか」を冷静に考えられる
瞬時に判断すると極端な解釈になりがちですが、ゆっくりと段階を踏んで考えることで、より現実的な理解ができるようになりました。
極端すぎる脳を教育する
正直に言うと、最初のうちは、書き出しても「やっぱりこういう否定的なことを言われているんじゃないか」と極端な受け取り方をしてしまっていました。しかし、文章として見返すと、実際にはそこまで厳しいことは言われていないことが少しずつ見えてきたのです。
これは、脳に「いつも極端に解釈してしまうけど、それは過剰反応だから、もう少し落ち着いて考えよう」と教え込む作業のようなものでした。2~3年ほど続けるうちに、以前ほど極端な反応はしなくなりました。今でも瞬間的に極端な受け取り方をすることはありますが、すぐに「ちょっと待てよ」と自分をチェックできるようになったのです。
極端な解釈がもたらす実害
昔の私は、この性質のせいで多くの機会を逃してきました。少しでも否定的なことを言われるとすぐにやめてしまう性質は、自分自身の成長を阻害するものだったと思います。
実際のところ、多くの場合、相手は「80点ぐらいの出来だけど、ここだけ直せばもっと良くなる」というつもりで言っているのに、私が過剰反応してしまうせいで「この人には何も言えない」と周囲が気を遣うようになってしまうこともありました。
今、私が心がけていること
現在の私が大切にしているのは、次のようなバランスの取れた姿勢です:
褒められた部分は素直に受け取る
指摘された部分はピンポイントで改善する
マイナスの指摘を過剰に受け取らない(かといって無視もしない)
コミュニケーションの温度感を理解することは、人間関係を良好に保ち、自分自身の成長にもつながります。もし、私と同じように極端な受け取り方をしてしまう傾向がある方がいたら、ぜひ「書き出して客観視する」方法を試してみてください。変化は一朝一夕には訪れませんが、継続することで必ず成長が見えてくるはずです。皆さんのコミュニケーションがより豊かになることを願っています。
あなたも似たような経験はありますか?コメント欄でぜひ共有してください。また、次回は「フィードバックを建設的に受け取るためのテクニック」について詳しく書いていく予定です。お楽しみに!
ここからどういう風に手を加えるべきか
全く個性は無いけれど、いい感じで自分が語ったことをまとめてくれているなと思います。ただこれだけだと物足りないのでもうひと手間加えたい。
1:書いた内容についてChatGPTに関連する情報を調べさせる
あえて最初にChatGPTに整形をさせたのもこれが理由ですね。

2:面白い話が出てきたら、その部分をコピペしてClaud.aiに読み込ませて再編集させたり、その部分についてさらに自分で感想を述べて、それを合わせてもう一度記事を書くようにClaud.aiに指示を出してみる。

そうするとかなり内容を大胆に変更してくれます。

必要な情報は揃ったし、構成も整ったので、この状態から自分でチェックして表現などを訂正したり、書き足りない点を付け加えるだけでちゃんとした記事が作れます
というわけで新しい記事はこちら。自分がASDであるという情報を付け加えたことで、書き手の個性が伝わる形の文章になっています。
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