イキりオタクと粋なオタク
「鯛のおかしらの後継者」「20代の時から老害と言われ続けたオタク」などの異名を持ち
伝説の「セクハラ発言」からの「即降参」ムーブで大勢のはてなブックマークの人間にも「こいつはヤバイ」と言わしめた伝説のイキりオタク。
はてなでイキりオタクと言えばお前やろといわれたあのお方がイキりオタクについて解説しださってて説得力が半端ない。
微妙に自分がイキりオタクである自覚があるのか、イキりオタクにかまう人にけん制するところとかもう好きすぎる。
多分「知識がない人や、知識を覚える気がない人」ぐらいにしか、いばることができないからじゃない?
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
本当に行動力があるor知識があれば、いばる暇がないほど努力するか、人の間違いを丁寧に検証する側に行くでしょ…
なぜオタクはネットでイキってしまうのか https://t.co/MmtORIlReu
あんまりイキリオタクってフレーズ好きじゃないのはそこなんですよ…。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
イキってる程度のオタク相手にしてる暇があったら他のことしたらいいのに、なぜかイキってるオタクを相手にしたがる。
なんでだろうって考えたら、そのぐらいしか相手してくれる人を見つけるツールがないのかな…って
「ネットでバカを発見して叩くのが気晴らしになるからやってる」
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
っていう言い訳をする人もいるし、現に加害者がわがそういうこと言ったこともあるらしいけど…同じです。
他の楽しみや没頭できることを見つけられないor他人を煽るという不毛で非生産的なことに興じる時点で程度が低いのよ
直前のツイートこれなのにその直後に真顔で上みたいなことを書けるのが本当に素晴らしい。
シャドバがネタデッカー・ファンデッカーに冷たい環境になってから引退勢が続出したのと似てる。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
プロの世界より動画投稿者からの方が遊んで楽しいデッキは出てくるんよねぇ…
カードゲームは競技プロ化、eスポーツ化に向いてないと言う話|king halo @kinghalo_dl #note https://t.co/xyp7EAHU1u
個人的にシャドバをつまんなくした最大の害悪は
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
「昏き底より出でる者 」
ではなく、
「猫耳の魔法使い・キャル」
だと思ってる。
いや、両方ともシャドバを破壊したよ?
でも、キャルは未だに直されてないどころかコラボ商品売るためならゲームバランスなんか二の次なのをアピールしたからね?
マナリアコラボの時点で
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
「コラボカードは多少アンバランスでも優遇します」
という風潮はシャドバ運営にあったよ?
でも、コラボするクラスがだいたいウィッチで、しかも、コラボ終わってからもゲーム性を歪ませたカードを直してないし、アンリミにテコを入れたのも周回遅れ。
そりゃやめますって
そもそも3ヶ月に一回新パック出すよりも、頻繁にバランス調整したり、新しい遊び方ができるように色々なルールの競技を作れよってのが私がシャドバに一番言いたいことなんだけどね…。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 19, 2021
新パック出してもコラボと過去カードのリメイクにしかならへんクセに、遊び方は減ってく。
そりゃね…
その前のツイートこれやぞ
正直ウマ娘レベルの戦略性でグチャグチャ言ってたら他の本格的なゲームだいたいダメだと思う。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 18, 2021
戦略と努力の方向が間違ってなければ、ある程度勝てるウマ娘はまだ良心的だと思う
タウラス杯、失敗の本質|ゼオン @raidersyuyu #note https://t.co/S6UqlvgXo6
それこそ、シャドバなんて努力の方向性が正しくても相手との相性&自分自身の引き運で負けが込むことは良くある。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) May 18, 2021
クラロワなんてウマ娘の比じゃないほどデッキが多様だから相性が膨大で、さらに操作の実力が問われる。
そういうゲームに比べたらウマ娘って相当優しい部類だと思うけどなぁ…
◇「イキる」とは何なのか?
なお、「イキりオタク」という言葉は「弱者男性」「繊細チンピラ」と違い、「動詞+名詞」で構成されています。
なので、「イキる」という言葉が持つ意味自体を明確化できれば割と客観性が高い言葉になります。
イキるとは、調子に乗ったりえらぶっていることを表します。日本語俗語辞書には「意気がるの略」と記載されています。もともと関西方面で使われていた方言が全国に広まったもののようです。
「自分から粋だと思って得意になる。粋人らしくふるまう。いきぶる。」
なお、この言葉は「意気」と「粋」が混じっています。
上の人間は「イキリオタク」および「イキリオタクを批判する人」を批判しておきながら「自分は粋である」という立場を保とうとしています。
しかし、まさにこの「自分こそが粋である」という思い込みこそが「イキり」の元になるというらせん構造になっています。
「何が粋であるか」という思考、特に「我こそが粋である」という思考を捨てられない限り、この「イキリ」の螺旋から逃れることはできません。
この螺旋から逃れるためには、「いき」とは何かをもうちょっとちゃんと考える必要がある。
そして、実際に考えた人がいた。
https://1000ya.isis.ne.jp/0689.html
さて九鬼の言葉によると、「いき」の契機は「媚態」「意気地」「諦め」によって成立しているという。
①媚態をぎりぎりにさせつつ、共同的な二元関係を感じあっていくには、いくら男女が快楽を交わそうとも、そこには適当な「距離」が必要になる。この媚態と距離との両方をキリリと表象しているのが、どうやら「いき」なのだ。
②「意気地」は、一言でいえば媚態のテンションを持続させ、距離をおいても媚態が朽ちないために、そこにさらに磨きをかける「心の強み」のことをいう。とうてい実現することのない理想を求める心意気だ。九鬼は、むしろ「いき」の振舞や「いき」な存在をまっとうしようとする心意気こそが、意気地をつくっていくとみなしていった。
③「いき」を心意気にしつづける最後の契機として、九鬼は「諦め」を持ち出した。これは諦念というよりも「恬淡無碍の心」というものである。
粋を突き詰めると、最終的にはこのような「悟り」の境地へ至る
人間は偶然に地球の表面の何処か一点へ投げ出されたものである。如何にして投げ出されたか、何処に投げ出されたかは知る由もない。ただ生まれ出でて死んで行くのである。人生の味も美しさもそこにある。
これが、偶然であり、「いき」なのである。
未練はもたない。鼻緒が切れれば、紬(つむぎ)の袖だって破るということなのだ。
「我こそが粋である」などと考えるということ自体がもう「いき」とは真逆の考え方であることがわかるだろう。
◇粋なオタクとは何か
私や上の彼のように、Twitterで他人を論評するようなことをしたり、自分を良いものとして見せびらかそうとしない。
自分自身は高みを目指しつつ、「チラ見せする」。
それでわかる人にだけわかってもらえばよい。
そんな心が「粋」なのかもしれない。
今のSNS時代にはほぼ生息していないし、見つけるのは困難だろう。
みつけようとして見つかるものではなく己が自分を高めようと道を歩いていたら、偶然出会うことができるかもしれない。
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