「聲の形」第一話
犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の三列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気が要るというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。
聲の形の幼少期のいじめ描写部分はすべて無料公開されてる。
私はAmazonKindleで買ってるが、買ってない人でもちゃんと幼少時のいじめが全部見れるようになってるのはとてもありがたい配慮だ。
いじめの加害者の心情を漫画として具体的に描いたという意味ではいまだにこの作品は凄いと思う。
①最初は退屈しのぎ
②不満の気持ちがきっかけになる
③相手を「クラスにとっての悪者」と認定する
④反撃をされなかったことでエスカレートする
⑤先生によるお墨付きによりタガが外れる
⑥途中からは完全に遊び。「楽しんでいる」
いじめ行為をやっているというだけでも胸糞だが、この笑顔がやばい。
「いじめをおこなくことによって日々を楽しむ」「他人をいじめることによって充実感を得る」「いじめを行うことで仲間を作る」という様子がはっきりと描かれている。
被害者から「不当な搾取」を行い、自分だけが潤っている姿を見せられると、単に行為が悪いだけでは済まない。脱税とかそれに近い感触だ。「そうやって楽しんだ分をちゃんと返済しろ」という「年貢の取り立て」を行いたい気持ちになる。
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