
「私たちの怒りにケチをつける奴はトーンポリシングだから絶対に許さない教」に対してどう対応するべきかは鴻上さんの人生相談に答えがある
おわびしなければいけないことが有ります・・・
私は今まで、あのクラブハウスを一応対話を志している場所と考えていました。
しかし、teruyastarさんの記事によるとそうではなかったそうです。
あのクラブハウスのROOMは、「わざわざ過去のツイートをあら捜しして勝手に虐待の事実を"発見"して傷ついた勝部さんを慰める」ことを目的としたセラピーの場だったそうです
私はあの音声を聞くだけで疲れ切っており、その後当事者たちがどのようなやり取りをしているのかはほとんど把握しておりませんでしたが、
ROOMを立てた藤本あさこさん本人が「対話の場所ではなかった」と明言されています。
まずたかまつさんの最大の誤解は、あの場所を「対話の場所」と勘違いして入ってきたことかもしれません。
— 藤本あさこ(マコちゃん!)@鎌倉アップデートチャレンジ (@Fujimoto_Asako) February 17, 2021
そう思うと、この長文の考察は頭からひっくり返ります。
もっと背景を理解してから発信してほしいですね。
roomモデレーターとしてもこれは切ない。 https://t.co/VCdOfrQVGf
おぎさんが来てくれたroom、炎上したんだけど、まぁそれは良いんだけどその後の分析がみんな検討違いすぎるから、一度roomを開いたモデレーターとして見えたものを発信したいな。#Clubhouse #小木さん #ソーシャルアクティビスト って言葉、少し広まったね
— 藤本あさこ(マコちゃん!)@鎌倉アップデートチャレンジ (@Fujimoto_Asako) February 17, 2021
#Clubhouse #フェミニスト #おぎさん 勉強会
— 藤本あさこ(マコちゃん!)@鎌倉アップデートチャレンジ (@Fujimoto_Asako) February 18, 2021
カメントツさん最高すぎるんやがあああああああ😭⁉️😭❤️
カメントツさんもそう言ってるから間違いないと思います。
あのクラブハウスのROOMは、「わざわざ過去のツイートをあら捜しして勝手に虐待の事実を"発見"して傷ついた勝部さんや、小木さんのピラニア発言や勝部さんがわざわざ作成したツイートによって傷ついた人たちが、仲間内で小木さんの悪口を言うことで自分たちの傷を慰めあう」ことを目的としたセラピーの場だったそうです。
私は感覚がアップデートできていないので「なにそのマッチポンプ……なお悪いわ!」って気持ちになるんですが、多分アップデートできている人たちにとっては正しい行為なのだと思います。
私には、セラピーの場というよりは、癒されるためにわざわざ「小木さんおよびその家族という生贄」を要求することから、普通にサバトのようにしか見えないのですが、少なくとも本人の中ではそうなっているようです。
teruyastarさんによる解説
あーーーーーなるほど。コミュニティのガス抜きで孤独を和らげるものだったから、誰も勝部を止めなかった。小木を吊り上げてみんなでやすらぐつもりが、突然小木本人が釈明に入ってきたり、たかまつさんが入ったりでああなったのか。
奥さんや娘さんに被害が及ぶなんて気にかけることもなく。「私達の議論は解決を目的としてない。自分の感情満たすため攻撃をしかけるセラピー」だと。それなら納得
いや、正しいよ。凄く正しいよ。
マイノリティが自分の心を守るため、素直に気持ちを表現するため、強者が作った社会のルールには一切従わず、一方的に感情をぶちまける。そのために小木の奥さんが攻撃されようが娘に害が及ぼうが、仲間と思ってた人が名誉男性で裏切ろうが、勇気ある仲間が戦死を遂げようが、逆差別しようが、自分の感情が一番大事
会話のキャッチボールができないのも納得。相手のボールは取らないでピッチングのみしたいわけね。ボールがどこにあたろうが、流れ弾が誰に当たろうがマウンドに立ってピッチャーしたいという自分が一番大切だから関係ないと。マイノリティの遊戯王最強カード「ずっと俺のターン」発動だ。
でもごめん、お前とは野球も遊戯王もできねえわ。
結局「トーンポリシング反対」を叫ぶ人の本音とは何なのか
トーンポリシング教信者に対して僕の言葉は何一つ届かないだろう。この教典を否定することがトーンポリシングだから。自分の感情を守るためには人の話を聞かないでいいという教典だから。なのでトーンポリシング教を支援する若い人に話そう。これ、会話や社会のルール無視できる思想なんで、自分の感情のためなら法は関係ないんだよね。人間は感情が先で、法は(彼らに言わせると権力者の都合いいように)後から作られたわけだから
トーンポリシング教の「100:0で相手が悪い」「相手の話は聞かなくていい」「体制のルールは守らなくていい」と解釈できてしまう教典は言論のテロ思想になりえる。当初の目的も取り違えて、先がないんだよ。
「私たちの言論にケチをつける奴はトーンポリシングだ教」に対してどう対応するべきかは鴻上さんが教えてくれています
理論的意見として、「ツーブロックは禁止。ツーブロックになると不良にからまれる」と思っている人とは、議論できます。「ホテル業界では、ツーブロックは清潔さの象徴になっている」とか「街でモニターした結果、100人中これだけの人がツーブロックだった。これだけいるのだから、ツーブロックはからまれる理由にならない」と、エビデンスを交えながら、どちらが適切か議論できます。ちゃんと議論できれば、変わる可能性はあります。
でも、「校則で禁止してるから禁止」と思考停止している人とは議論が成立しません。それは、理論的思考ではなく、宗教的信仰です。「ツーブロックは禁止。それは神(校則)が決めたから」と言う人とはどんな議論もできないのです。また、「内心、ツーブロックはもう解禁していいと思ってるんだけど、そんなこと言って、周りから何言われるか分からないから言えない」という人とも、議論はできません。 哀しいですが、ナナさんが同僚から聞いた「ウチではなかなか難しいよねー」「東京だからできるよねー」という言葉です。それは、ツーブロックが適切かどうかではなくて、「世間の多数派に従う」ことが一番大切だということを表明しているのです。「ツーブロックが適切かどうか」を話したい人と「世間ではどんな考え方が主流か」が大切な人とは、議論は成立しません。後者の人達にとっては「校則の理不尽さ」が問題ではなく、「校則の理不尽さをどれぐらいの人が問題にしているか」が問題なのですから、議論がかみあうわけがないのです。
このツーブロックが「トーンポリシング」に変わったのが勝部さんや石川さん、そして藤本あさこさんというわけです。
「周り(のフェミニスト)たちから何を言われるかわからないから言えない」という雰囲気で誰一人勝部さんのふるまいにツッコミを入れられなかったのもかなり近い雰囲気を感じます。
ということで、答えが見えてきましたね。
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