
人間は最初はだれでも「褒める」という行為は出来る。しかし段々と余計なことを考えて「ただ褒める」ができなくなる
の記事の続き。
前の記事では「褒める」という行為が苦手な人多いんだなあという話をしました。
あのね、多分だけど、みんな「褒める」という行為について難しく考えすぎだと思います。
一度余分なことを断舎離しましょう。
ここでは「ただ褒めるだけ」「褒める以外の余計なものを入れない」という考え方について説明します。
私は自分が褒められるのが超苦手だけど、これについては「褒め方」がズレてる人が多いってのも一つの原因ではあるんだよね
どういうことかというと、みんな褒めるという行為に余計な意味をもたせすぎなんでんですよ。
例えば、みんな「自分が言われたら嬉しいこと」を言おうとする。そうするとね。褒めちゃうと自分より相手が上に見えてしまったりする。なんか負けを認めたような気になってしまう。
それは自分と相手を比較しようとするからです。すぐ勝ち負けを考えちゃうからです。こういう人は褒めるの超苦手そうですよね。
はっきり言うけど、考え方自体が間違ってます。
褒めるって、本当はもっとニュートラルに考えるべき行為なんですよ
褒める時に大事なのは相手であって、自分はどうでもいいんですよ。
相手の中に美点とか良い点があれば、それをただ「具体的に指し示し」てかつ「私はここが良いと思っている事実」だけを述べればいい。分析とかうんちくは要らないんですよ。
本当にただこれだけなの。
というか、それ以上のもの要素を褒めに持たせない。
だって、他にもあれこれ意味をもたせたら受け取る相手が困るでしょ。
褒め以外の要素を一緒に抱き合わせて渡そうとするのはよくばりすぎ。
「褒め」って、自分が主役なんじゃなくて、相手が受け取るものだって意識があるかどうかが重要
上で述べたように、褒めるってのは
美点とか良い点があれば、それをただ「具体的に指し示し」てかつ「私はここが良いと思っている事実」だけを述べるだけの行為です。
本当に自分が何かをいいと思ってるのであれば、事実を述べるだけでそれ以上のものは要らない。
ところが、みんな褒めるって「評価」とか「分析」だと思ってる。ただ褒めたら軽く見られると思ってる。自分が軽く見られないようにという意識のせいで余計なものを付け足しちゃう。で、いろいろ語っちゃったりうんちくを披露しちゃうわけね。
それを褒め言葉として相手に送るわけ。
相手からしたら「それは違う」って思ってても褒め言葉を拒絶するのははばかられるからなんとなく受け入れてしまうことあるよね。
でも私はこういうの気持ち悪いなあって思います。
そういう「自分の見栄」のために相手を利用しようとするのをやめなさい。褒める見返りとして自分の意見を相手に受け入れさせようとするのをやめなさい。それはもう褒めじゃない。
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