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発達障害グレーゾーンや緘黙症を扱ったマンガ「言葉の深海」 この作品を読んで思いついたことをダラダラ語る

マンガとしてとても丁寧な作品で良かった。

いろいろ自分のことを考えさせられた。

このマンガの感想というよりは、このマンガを読んで思ったことをダラダラと書くことにする。今回は発散が目的で、特に読者の人になにかを伝えようと思って書いてないので、読まなくてもOKです


小学校低学年の頃の思い出

はてなブログのほうで何回も書いてきたけれど私は小学生低学年の頃、全くといっていいほど喋れなくなったことがある(場面緘黙症という)


発達障害だった私は当時思ったことをまったく伝えられなかった。(発達障害が判明したのは中学生の時だが)

家で話をちゃんと聞いてくれる人がいなかった。

母親は姉といっしょに「よしきの言ってることはわからない。ズレている」と言ってバカにしてきたし、父親は「要点をわかりやすく説明できないなら話しかけるな」といって話しかけること自体拒否してきた。

学校でも上手にコミュニケーションを取ることができず、低学年の頃はよくからかわれていたし、いろんなことを押し付けられる側の立場だった。

習い事の水泳教室ではなかなか泳げない上に、指導者とうまくコミュニケーションが取れず浮いた状態だったので針の筵状態だった。(その水泳教室では保護者がくるまで待機するスペースでずっと「風の谷のナウシカ」の録画を流していた。私はそれを最初から最後まで見たかったのだけれど、結局当時それを親に伝えることができなかったことばかりが記憶に残っている)


うまくしゃべれないものだから、私は小学校3年生のときに塾に通い出すまで、ただのバカだと思われていたし、自分自身も自分のことをバカだと思い続けて生きてきた。

だから私みたいな人間はしゃべれないしどうせバカにされるだけだからしゃべってはいけないと思っていた。

小学校3年で塾に通い始めたけれど最初は姉と比べて勉強もできなかった。よしきは何をヤラせてもだめなやつだ・・・くらいのノリで母親からも扱われていた。

そういうのが積み重なったせいか、小学校3年生から小学校4年の頭にかけて、まず学校で何も喋れなくなった。家では一応会話ができていたが、学校では喋ろうと思っても声が出ない。なにをしゃべろうとしてもつっかえてしまうようになった。


もう忘れたつもりになっていたけれど、この頃から私は基本的に他人のことは今でもうっすらと嫌いなのかもしれない。あとこれもくり返し言ってるけど小学校4年生の時の新任女性教師は今でもどうしても嫌が記憶がある。

自分では克服してきたつもりなんだけど三つ子の魂百までてきなところがあるなあ。


ところが、小学校4年生になって、勉強ができることがわかった瞬間色んな意味で周りの対応も変わった。

周りの人間はバカにしたりいじめてこなくなったし、そもそも自分が自分のことを何をしても駄目な人間だと思わなくなった。他になにができなくても勉強頑張っていれば周りから好き勝手にいじられることはないと思った。

親がこの時期学校とかけあって、学校内での課題が終わったら図書室か保健室に移動しても良いということにしてくれた。一人でリラックスできるようになってきた。

一人ぼっちで時間があったから、このときに考えていることや話したいことをノートに書いて整理する癖がついてきた。

それで、ちょっとずつ家族とは話せるようになっていった。

んで、家族が自分のことをバカにしなくなり、自分も話ができるようになってきて、ようやく「自分は喋っても良いんだ」って思えるようになっていった。

たしか小学校5年生になる前には喋りはじめていたと思う。

喋れるようにはなったけれど、基本的には私は他人とのコミュニケーションはずっと怖いと思って生きてきた

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