「いじめの時間」感想:あくまでもエンタメのためのフィクション。現実はもっと残酷だと思う
いじめが発覚した時に、外野から
「いじめられたらいじめらてると言え」とか
「いじめを見逃すとか学校は何をしてたんだ」みたいな感じで
いう人がいるが、
現状の仕組みとして、学校の先生にに問題解決がゆだねられている限り、実際は「本人がいじめられた」と言わない限り学校の先生はなかなか動けない。法律の「疑わしきは被疑者の利益に」よりもはるかに強く、「疑わしいというだけでいじめを疑って介入すること」は難しい。
なので、絶対にいじめられている被害者からいじめの告発が必要になるのだが、「いじめられました」と他に助けを求められるような子はそもそもいじめのターゲットになりにくい=いじめられている子は素直に言えるわけがない。
というような話を、ストーリー形式で語るマンガ。
このマンガでは
「いじめっこが助けを求められない間にどんどん追い詰められていく様子」
「いじめっこが何を考えていじめをやっているのか」
「いじめっこは社会的な制裁を受けた時に反省するのか、それとも表面的には反省するが内面では被害者ぶってるだけなのか」
「いじめっこはどうすれば本当に自分がやったことが悪かったと反省できるのか」
などが描かれている。
小山田圭吾の件で「いじめをやった人間は果たしてその行為を反省したりすることがあるのだろうか?」と疑問に思った人は、一つのサンプルとして読んでみると良いだろう。
ただし、この作品は、リアリティという面ではあまり期待しない方が良い。序盤こそリアリティを感じさせるが、後半は完全にエンタメのための作り話になっている。これをもとに現実のいじめを語るつもりは全くないです。
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