
「ローマの休日」のプロットはいかにして生まれたか
マンガ「赤狩り」2巻より。
本作「赤狩り」は当時の共産党追放運動に巻き込まれた作家たちと国家との争いがメインだがその歴史の中でトランボという脚本家がローマの休日の脚本を書き、妨害を受けながらも興行を成功させるというサブストーリーが進展する。
トランボの作品作りの過程が面白いのでこのnoteではその部分だけまとめておく。
脚本家のトランボはまず大ヒット作「或る夜の出来事」を研究した。
キモとして4点を抽出した。


そして、舞台を「当時のアメリカ人が最もあこがれるローマ」にした。
これによって、設定がさらに発展していく。

キャラクターの設定が変わったことで、着地点も変える必要が出てきた

最終的に、パクリ元でには存在しない本作オリジナルのテーマが生み出されることになる

当時のトランボがおかれた状況も大いに作品に反映された


しかも、これで終わりではない。脚本が完成してからが本当の闘いの始まり。
まず難物の監督を納得させなければいけない

これに対して、トランボは当時邪道とされた演出を使って対抗する。

この監督とトランボの殴り合いのようなリテイクの応酬の中でさらに作品が洗練されていく。
脚本が完成した後は、赤狩りの手が迫ってくる中で、限られた時間で撮影しなければいけなかった


FBIはイタリアまで追ってきたが、イタリア人が監督たちを守ってくれた

「ローマの休日」は「不信」に対する戦いの物語に昇華される
あくまで本作では、だけれど。


オードリーヘップバーンも、ユダヤ人としてナチスドイツに殺されかけた人間である。勇気をもって赤狩りの脅威に屈さず主演女優を務めた。

そして、映画は絶賛され、国民の支持を受けた。
ワイラー監督やオードリーは、この作品の人気に守られ、赤狩りの指摘を受けることはなかった。

そもそもフーヴァーは、最初からこれらの人間が脅威でないことはわかっていた。ただの大衆向けのパフォーマンスのためだけに大量の人間を追放した。
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