巡り巡る
おはようございます。革命家の奈倉佳輝です。
本日は『巡り巡る』という話をしようと思います。簡単に言うなら、「人のためにすることは巡り巡って自分のためになる」という話です。是非見ていってください。
1.巡り巡るとは
まず、巡り巡るとは、どういう意味だろうか。
自分がした行いは、いつか自分に返ってくる。善も、悪も、等しく途絶えずに返ってくる。そういう意味だろうか。
他には、「因果応報」や「情けは人の為ならず」という言葉もある。これは”人に情けをかけるのは、その人の為になるばかりでなく、やがては巡り巡って自分に返ってくる。”つまり、善因善果、悪因悪果という意味なのだろう。
2.損得勘定を捨てる
子供の頃、他人が痛みを感じることも、人に優しくする理由も分からなかった、ひたすらに大切にされる時代を僕らは生きてきた。なぜ、彼らは優しくしてくれたのか。
返ってくるか分からないパスを投げることは、損得勘定を考えずに相手のことを想うことだと思う。大切に育てようと想った愛の形なのかもしれない。
後になって、その結果は分かる。親孝行してくれたり、孫の顔が見れたり、そういった得があるかもしれない。しかし、巡るには時が必要だ。
この行動は損か得か。実際、人はそう考える生き物だと思う。しかし、そんな自分が利する工程を考えるくらいなら、人が喜び、元気になり、自由になることを深く考えずにした方がいいと思う。ある意味、人への投資だろうか。
3.その人の為になることをする
誰かの為になにかをする。それはひとつではなく、日常的にした方がいいと思う。物事が巡るのには、ある程度時間が必要だから。自分がした行いは巡り巡る、そして忘れたいつの日か自分に返ってくる。もちろん、そうならない場合もあるが。
これは自分に対して、邪となる場合もある。自分がした過去の過ちは変えられない。自分にできることがあるならば、それは、素直に反省して改善すること。
巡ることは、噂や周囲の評価、人格などのことだと思う。しかし、これを恐れなくてもいい。むしろ、シンプルにその人の為になることをしたらいいと思う。善意を持って人に接すること。そうしたら、まず嫌う人なんてできない。存在を嫌う人もいるかもしれないが、そんなのは少数だ。
投資と考えるなり、信頼貯金と言うなり、それらの行動はやがて習慣となり、人格となる。これらの行いが結果的に自分の為であることは、それでいいのだと思う。少しづつでもいいから、自分を変える努力すること。
一朝一夕では変わらないし、日常の心がけだと思う。損得勘定など忘れて、ただ単に、その人が喜ぶ、そんな姿を想像してみてほしい。きっと、今よりも素晴らしい未来が待っているはずです。応援しています。
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皆さんの挑戦が素晴らしい成果を生むことを、心から応援しています。