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日本三大鳥居 氣比神宮に行ってきた
ドンと構えてて、ちょっとした圧がある。歴史が長そうに見えるけど、実は戦後に再建されたものらしい。そんなことはどうでもよくなるほど、この場所自体が持つ重みのせいか、何百年も前からそこにあるような空気が漂ってる。
それにしても、この神社には七柱も神様が祀られてるって聞いてびっくり。農業の神、海の神、戦の神、家庭を守る神…。それぞれが違う役割を持ってて、まるで人間の生活を丸ごとサポートする布陣みたいだ。どうして七柱もいるのか、その理由は実ははっきりわかっていない。でも、古代の人たちが「この土地にはこれだけの神々が必要だ」と直感的に感じたんじゃないかって、なんとなく想像してしまう。
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参道を歩きながら、ここに祈りを捧げてきた人たちって、どんな思いを抱えていたんだろう?と考えてみる。戦国時代に一度焼かれ、明治には国家によって格式が与えられ、そして今では観光地としても人気がある。何度も壊され、何度も再生されながら、さまざまな時代の人々がそれぞれの祈りを捧げてきた。氣比神宮の歴史って、ただ昔からあるというだけじゃなく、**人間の営みが何層にも折り重なった時間の層**を感じさせるんだ。
七柱の神々がここに並んでいるのは、人間の多面性も象徴しているのかもしれない。安定も欲しいけれど、冒険もしたい。家庭の平和も大事にしたいけれど、仕事での成功も追いかけたい。ひとつの神様じゃ支えきれないくらい、人間の願いって複雑で矛盾している。氣比神宮の七柱の神々は、そういう複雑さをそのまま受け止めてくれているように感じる。
参拝を終えて鳥居をくぐると、肩の力が少し抜けたのがわかる。神様がすべてを解決してくれるわけじゃない。でも見守られているって感覚があると、もう少しだけ自分らしく生きてもいいかなと思える。何も考えずにただ鳥居をくぐって、参道を歩くだけでも気持ちがいいけど、こうして歴史の片鱗を頭の片隅に置きながら見ると、景色がちょっと違って見えるのが、神社巡りの面白いところ。