三国志の名場面「三顧の礼」についてと、そこからの学び

こんばんは。

初の記事となる今回は、三国志で有名な「三顧の礼」について語ります。

三顧の礼を簡単に言うと、「目上の人が下の人に三度も出向く」ということです。

そこにどんな意味があって、その結果どうなったのかということを、僕なりの視点で書いてみます。

・目上の人が格下の人に

まずは出向いた人と出向かれた人を。

出向くのは、40代で関羽や張飛を始め沢山の配下を持っていた劉備。
出向かれるのは、20代でまだ名も売れていない諸葛亮。

社会的に見れば、劉備が諸葛亮を呼びつけてもいいように見えます。

しかし、劉備という人物は立場があっても、人と分け隔てなく接する人格者で、このような場合でも気にすることなく自分から出向いていきました。

むしろ、配下の関羽や張飛の方が、「そこまでしなくても・・・」と言ってしまうほどでしたが、劉備は気にせず出向いたということです。


・三度も出向く

次に、三回も出向いたということです。

一回目と二回目は不在で、三回目に出向いた時に、諸葛亮はお昼寝中でした。

その時も、劉備は諸葛亮を起こすことなく、むしろ起こさないように頼み、諸葛亮が起きるまで待ったということです。

劉備の相手へ礼を尽くすことが、後に諸葛亮との絆が生まれるきっかけになったのではないかと思います。

・出会いとその後

三顧の礼での出会いの後に、2人は意気投合し、劉備は水を得た魚というような状態になったといいます。

この場合、劉備が魚で、諸葛亮が水となります。

劉備は諸葛亮のことを尊敬して接し、諸葛亮もそれに応えるように忠誠を捧げます。

劉備の死後も、諸葛亮は劉備の子を支えながら
、最後まで戦う姿は感動的で、三国志の中でもクライマックスの一つだと思っています。

・三顧の礼からの学び
さて、三顧の礼から学べることとして、立場に捉われないこと、ご縁を大事にすることがあるかと思います。

劉備が立場を気にせずに、偉そうにせずに、年下の諸葛亮に礼を尽くしたことが、諸葛亮を動かしたのではないでしょうか。

また、劉備が諸葛亮のことを知ったのは、他の人からの紹介なのですが、劉備はこのご縁を大切にして、諸葛亮との絆を築くことができました。

劉備には、諸葛亮以外にも忠誠に厚い者がたくさん仕えていますが、その一因は劉備のご縁を大切にする姿勢だと思います。

僕自身も、立場があっても偉そうにしないこと、ご縁を大切にする姿勢でいることを実践して、劉備のようにたくさんの友人、仲間を得れる人生にしていきます!

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