織田信長と尾張について
こんばんは。
吉田です。
今回は、有名な織田信長と尾張について語ります。
まず、尾張についてなんですが、現在の愛知県西部でして、信長の出身地になります。
1.尾張の国の人達
テレビ番組「秘密のケンミンショー」でもやってるように、県によっても習慣や県民性が違っているように、戦国時代でも国によって人の性格の傾向も違っていました。
尾張は、海に面していて、東海道が通っていることもあり、商売人気質だったようです。
信長自身も例外ではなく、経済感覚が優れていたようです。
ただ、この商売人気質には、メリットもデメリットもありまして、分けてお話しようと思います。
2.メリット
まず、メリットですが経済が発展しやすく、国が豊かになることです。
信長が楽市楽座をやったことは有名ですが、その制度を活かせたのも、尾張の国民性あってこそでした。
信長は他にも、はやくから南蛮に注目して堺へ足を運んでいましたし、鉄砲を導入できる経済力があったのも、この気質のおかげではないかと思います。
後に安土城を本拠として、秀吉や光秀の城と琵琶湖の水運で繋いでたことなどにも現れてますが、信長の躍進の一因であることは間違いありません。
3.デメリット
さて、デメリットなのですが、利に敏感なので、負けが見えると逃げてしまうところがあります。
実際に戦いの場面でも、尾張の国の兵は、負けが見えてくると逃げてしまう兵が多かったそうです。
そして、この点を克服する為に、信長は工夫しています。
まずは、戦に使う槍を通常より長くしていて、射程が長くなっているので、兵の危険を減らしています。
メリットのところでも述べた鉄砲ですが、これは敵を離れたところから倒せるので、更に安全に戦えます。
4.まとめ
まず、信長自身が経済感覚に優れていた為、国を豊かにして、税収も増えて、使えるお金も増えていました。
歴史のゲームをやってても思うのですが、とにかく何をするにも、お金がかかりますので、経済的豊かさは国の強さに直結します。
これは、資本主義である以上、時代が変わっても普遍ですので、現代においても、経済感覚を高めるのは大事なのではないでしょうか。
また、尾張の国や信長のように、人それぞれ特性はありますが、その特性を嘆いたりするよりも、どう活かすか考えて動いていきたいですね。
それでは、今日はこの辺で。
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