志賀直哉の油彩画――Museum Collection #8 我孫子市白樺文学館
志賀直哉の油彩画
千葉県我孫子は、常磐線我孫子駅開業以後、都心からのアクセスの良さ、手賀沼(てがぬま)を望む風光明媚な環境により村川堅固(むらかわけんご)・杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)・嘉納治五郎(かのうじごろう)など多くの文化人が別荘を築いた場所である。
嘉納の甥が白樺(しらかば)派の柳宗悦(やなぎむねよし)であり、そこから志賀直哉(しがなおや)・武者小路実篤(むしょのこうじさねあつ)が相次いで移住した。当時の志賀は、父直温(なおはる)との確執や夏目漱石に依頼された原稿が書けずに断るなど、作品を生み出すことができなくなっていたが、移住後息を吹き返すように代表作の数々を発表する。「和解」「城の崎にて」「小僧の神様」「流行感冒」、そして志賀唯一の長編小説「暗夜行路」の連載開始。彼にとって我孫子は創作の地だった。
我孫子市白樺文学館は二〇〇一年私営で開館、二〇〇九年より我孫子市に移管され今日に至る。現在コレクションは三つに大別され、私営時代のコレクションである旧白樺文学館所蔵資料、我孫子ゆかりの画家・歌人である原田京平関係資料、そして志賀直哉の五女田鶴子(たづこ)の嫁ぎ先の山田家コレクションである。
志賀は「暗夜行路」の完結、改造社版全集の刊行を契機にいわゆる文士廃業宣言をする。その後一時期取り組んだのが油彩画制作である。作品数は少なく、市場へ出回った例はないという。志賀研究の重要な一品である。我孫子時代の作品ではないが、志賀の美意識・審美眼・表現力を考えさせられる。作品との出会いは、楽藝冥利に尽きる。我孫子は志賀たちによって創られた文化の香りが今でも立ち込めている。
(いなむら たかし・我孫子市教育委員会主任学芸員)