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文書館とアーキビストを取り巻く現状と課題 新井浩文

博物館や図書館に比べると、文書館という機関、そして、そこで地域の歴史資料を守る専門職員「アーキビスト」という職業は、あまり知られていないかもしれません。本エッセイでは、『文書館のしごと―アーキビストと史料保存―』の著者が、自身の半生を重ねつつ、「公文書管理法」の施行など、文書館をめぐるこれまでの動きや、アーキビストの必要性を分かりやすく語ります。

 二〇二四年三月、拙著『文書館のしごと―アーキビストと史料保存―』(以下、本書)を上梓することができた。本書は、エピローグにも書いたように筆者の四半世紀に及ぶ文書館勤務の集大成である。

 文書館に関わってそんなにも経ったのかと思う反面、まだまだ文書館という機関が、博物館や図書館と比較して世間に知られていないことを改めて感じている。それは、副題で示した「アーキビストと史料保存」の「アーキビスト」という職業さえ、一般には周知されていない状況は筆者が勤務した頃と、さほど変わっていないと思っている。

 そうは言っても、いま「アーキビスト」という仕事は国立公文書館で認証アーキビスト制度が始まり、大学でも養成課程が設置されるなどある意味で旬を迎えている。本書は、そうした現状を踏まえながらも、これまで歩んできた文書館の「いばらの道」について自分の半生と重ねながら振り返ってみた回顧録でもある。

 筆者が文書館に異動着任した頃は、どちらかといえば近世の古文書を収集・保存・公開する施設、調査も県内に限らず広く全国に関わる埼玉の史料収集が頻繁に行われていた。当時は、県史編さんも同じ建物の中で行われていたこともあり、組織的な違いはあっても連携しながら史料の拡充と補完に努めていた感がある。建物の一階には文書課の情報公開の窓口となる「公文書センター」が置かれていて、まさに古文書から現用公文書までを、館内ですべて扱っている文字通り「文書の館」であった。当時は、「公文書館法」が施行されてまだ日が浅かったこともあり、史料を収集し、目録を作成し公開する流れがしっかりと息づいていた。また、全史料協(全国歴史資料保存利用機関連絡協議会)の事務局も担っていたこともあり、常に全国の文書館の動向が集約される環境にあった。

 そんな職場の中での関心は、地域史料の保存が主体でありこれらをいかに後世に伝えるべきかが急務であった。その流れは、阪神・淡路大震災を経て、より顕著なものとなっていく。古文書などに対する地域での保存に関心が頻発する「自然災害」による危機感からも高まり、全国に史料ネットが誕生する契機にもなった。災害時の流れは、この元日に起こった能登半島地震でも変わってはいない。

 一方でこの地域史料に対する向き合い方が、別の意味で変わってきたのが、近年の所蔵者の世代交代による代替わりである。文書館に寄託されている文書の存在を次世代が知らなかったり、自治体史編さんの中で調査されたものの、返却後に紛失・売却されてしまった古文書も後を絶たない。この新たな「人的災害」ともいうべき状況は、これから文書館やアーキビストが過去と向き合う上で大きな課題となろう。

著書『文書館のしごと』の書影

 その後、情報公開の窓口が個々の業務課での対応に移行し、「公文書センター」も廃止された。埼玉県史の編さんも終了し、その編纂業務は文書館に引き継がれ、現在『埼玉県史料叢書』の刊行が行われている。

 こうした中で、「公文書館法」以来の仕事の流れが少し変わってきたと感じたのが、国の「個人情報保護法」と「公文書管理法」の施行である。「公文書館法」下の文書館現場にこの二つの法の影響が少なからず、あったことは否めない。前者に関していえば、極端すぎるくらいの個人情報に対する過敏さと情報公開開示への対応、そして「公文書管理法」施行による、「歴史資料としての公文書」に対する考え方の変化である。これまで現用文書の保存年限が経過した文書(非現用文書)は、歴史公文書(アーカイブズ)として評価・選別し、移管されるが、保存年限を見直してそのまま永年保存文書としたことから、「アーカイブズ」の概念が無くなってしまったところもある。極めて異例といえるこれら措置により、もはやアーキビストが不要となっている館もみられる。

 こうした状況の背景には、「公文書館法」までは廃棄文書を新たな歴史的価値から見直し、アーカイブズとして保存するという流れが理解されていたが、「公文書管理法」により文書作成段階から、その判断が求められることになり、保存年限やその後の移管措置にも少なからず行政側の意向が反映されやすくなったと感じる。現用文書の管理に関わる法律ができたことで少なからず川上の文書に着手できたのは喜ばしいが、逆に川上組織との関係が良好でない、あるいは川上の職員がアーカイブズについてしっかりとした理解がないと、川下の文書館に肝心な文書が流れてこなくなる、或いは作成されてもなくなる可能性が高まったことが危惧される。

 その原因は、アーカイブズに関わるアーキビストの職場内での職種は非常勤職員が多く、相対的に立場的にみても低いこと、そしてなかなかアーカイブズ制度に対する組織全体の理解が得られていない現状があることである。

 このほか、本書では触れなかったこの間の注目される文書館をめぐる動きとして、各都府県の戦前期までの行政文書の国指定重要文化財がある。これは、二〇〇〇年代入ってから山口県を皮切りに、京都府・埼玉県・東京都・群馬県の各文書館・公文書館が所管する行政文書が国指定重要文化財(歴史資料)に指定されたことで、戦前期までの行政文書(歴史的公文書)が、単なる記録文書だけでなく、さまざまな印刷技術や紙の種類なども含めた文化財としての評価を得たことにある。

 なお、その指定理由も、埼玉県の場合「埼玉県及びその前身の県・藩等行政機関において、作成、収受、保管された近代地方行政文書群。(中略)同県の基本政策、行政機構の変遷を知るだけでなく、地域社会が近代化する過程を具体的に伝える」としていることからも明らかなように、他の山口・京都・東京といった歴史的な背景を有する都府県とは明らかに異なる埼玉県の行政文書が指定された点は注目される。このようにアーカイブズに文化財的な価値を見出す流れが生まれた点は大きい。

 また、今後はいわゆるボーンデジタル文書の保存・公開がどのように行われていくか注視したい。この点は国立公文書館がその先鞭をつけるべく対応しているが、全国の自治体ではその組織的・人的問題からどこまで対応できるか不安な部分が多い。周知のことではあるが、デジタル文書の保存は想像以上にデータの移管やメンテナンスをはじめ、紙文書を保存するよりも費用がかかる。そしてリスクも高い。ここにも、アーカイブズの視点から解決しなければならない課題が山積しているのである。

 こうして書いてくると、アーカイブズの世界は前途多難でアーキビストを目指す人がいなくなってしまう不安があるが、決してそんなことはない。この不安は文書館の機能やアーキビストのしごとを多くの人に理解してもらうことで解消することが可能なのである。

 そのための環境整備として、まず地域の古文書を含め、広く過去の史料に関心を持ってもらうこと、そして文書館に足を運んでもらい、行政文書にも関心を広げてもらうことが肝要である。

 折しも、国立公文書館が二〇二八年に国会議事堂に隣接する新館に移転することが決定しており、工事も進んでいる。そうした、歴史や行政の仕組みを学ぶ施設としての「公文書館」が社会に認知される流れが浸透することに期待したい。

(あらい ひろぶみ・埼玉県立文書館学芸主幹、国立公文書館認証アーキビスト) 


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