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江戸城外堀から見る江戸の町 後編
本企画は昭和女子大学の学生有志と吉川弘文館との連携プロジェクトです。「家からみる江戸大名」シリーズの刊行によせて、学生視点での歴史の面白さを『本郷』誌上で発信しています!
ここでは、シリーズ第1弾『徳川将軍家 総論編』にあたり、本誌167号に収まりきらなかった内容を掲載します。是非、お楽しみください。
『江戸城外堀から見る江戸の町 前編』にて四ツ谷駅から飯田橋駅周辺の江戸城外堀について紹介しました。今回は、小石川後楽園から両国駅までにある江戸城外堀を見ていきたいと思います。
小石川後楽園
文京区に入ると、低地と高地の境目に神田川を外堀の代わりとして作ったため、外堀が急に細くなっています。水戸徳川家の屋敷は、神田川の北岸、小石川御門外にあり、小石川台の南に広がる低地を占め、江戸城北方の要地を守備していました。加えて、江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道である神田上水が、ふたの無い水路により水戸徳川家の屋敷に入り、そこからは石垣樋や木樋で地下を通して江戸市中に給水しました。また水戸徳川家の屋敷の庭園、小石川後楽園は、園内にある多くの泉水が神田上水でまかなわれていました。
水道橋・お茶の水
水道橋を通り過ぎると、その近くにも神田上水があり、神田上水懸樋(掛樋)跡を目にすることができます。これは江戸時代、神田川に木製の樋を架け神田上水の水を通し、神田・日本橋方面に給水していました。
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引き続き歩いてみると、史跡湯島聖堂を見つけることができます。湯島聖堂は儒学の振興を図りために創建されました。
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湯島聖堂の大成殿には孔子、孟子、顔子、曾子、子思が祀られていますが、その中でも儒学の祖である孔子は、他の4人と比べて大きく扱われており、大成殿とは別に史跡内に銅像があります。
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聖堂という名は、元禄3(1690)年に林家の私塾が移転したことで付けられますが、孔子を祀った堂という意味があります。
この他、湯島聖堂の大成殿にある水をふいているしゃちほこや湯島聖堂から少しでたところにある「古跡 昌平坂」の石柱を見ることができます。
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また、聖橋を挟んだ向かい側には、宣教師ニコライの依頼によって建てられたニコライ堂があります。
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柳橋・隅田川
柳橋は、神田川が隅田川と合流するところに架けられていて、橋の欄干にはかんざしの飾りが見られます。
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両国
江戸時代の両国は、回向院があることもあり盛り場として栄えていました。回向院は明暦3(1657)年に起こった明暦の大火で亡くなった人たちを弔うために作られました。
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明暦の大火で亡くなった方以外にも身寄りのない人が弔われていて、現在は水子や動物の供養を行っています。また、鼠小僧や竹本義太夫の墓があって、現在は鼠小僧の墓を削りお守りにする人たちがいます。
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後編感想
前編に比べ、見附を見かけなくなりましたが、神田上水掛樋跡や史跡湯島聖堂、回向院といった場所から江戸時代の痕跡を感じることができました。小石川後楽園に行くことができなかったのが心残りですが、別の機会に訪れてみたいと思います。
江戸城外堀を歩いてみて
5時間歩いたのですが、長いようで短いように感じるほど大変充実した時間でした。
東京に残る江戸の痕跡をたくさん見つけることができました。特に印象に残っているのは、市谷亀岡八幡宮の急な坂です。機械がない江戸時代に崖を切り崩し、土留めを作った人々の江戸を作り上げることへの思いや、土留めに使われてしまった無縁仏のことなど様々なことを考えさせられました。普段何気なく歩いているこの道は江戸時代の人々が懸命に整備したものだと考えると、とても感慨深く思えます。これからも、東京に残る江戸時代の痕跡を探してみたいなと思いました。
江戸城外堀を歩く前、東京というと東京タワーや東京ドーム、たくさん建っている高いビルなどを連想し、新しいものが集まっている都会という印象があったため、江戸の痕跡を見つけられるか疑問に思っていました。しかし、実際に歩いてみると、普段では気にも留めない場所に江戸時代の痕跡をたくさん見つけることができ、東京にも歴史を感じさせるような場所があるということに気が付きました。歴史を知らない人が外堀を歩いても楽しくないのではないかと考える人がいらっしゃるかもしれません。しかし、湯島聖堂や昌平坂、竹本義太夫など高校までの日本史の授業で聞き覚えがあるワードと関連のある場所に訪れることができるため、歴史を詳しく知らない人でも楽しめると思います。
【参考文献】
『小石川区史』東京市小石川区、1935年
「大江戸づくりと文京」文京区サイト
「両国歴史コース」一般社団法人 墨田区観光協会【本物が生きる街 すみだ観光サイト】
史跡湯島聖堂ホームページ
回向院ホームページ
作成者:斉藤・友田・近藤