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『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #2

 2024年2月に刊行した『Q&Aで読む日本外交入門』。それを記念して『本郷』171号に収録された鼎談を、4回に分けて特別公開いたします。

 編者である片山慶隆・山口航両先生に加え、『日米安保と事前協議制』などの著書があるロイター通信日本支局長の豊田祐基子先生をお迎えし、日本外交の課題について語っていただきました。

 ロシアによるウクライナ侵攻や台湾問題をはじめとした東アジアの安全保障環境など、緊迫化する国際環境のなかで日本の外交はどうあるべきか。過去・現在・未来を考えます。

日本外交に求められるもの

――では次に、日本外交に必要なこととは何でしょうか。

 豊田 『外交入門』でも書いておられましたが、「自由で開かれた」秩序をどのように維持するかは大事なテーマです。これは民主主義といった価値観の面から語ることも可能ですが、私は自由貿易の維持が一番重要ではないかと考えています。資源に乏しい日本にとって、これがなくなるのは死活的です。たとえば開かれたシーレーンを維持するには何が必要か、考えなければなりません。そうした意味で、先ほど言及した「ミドルパワー」としての外交を展開するうえでも、できるだけ手札を持っておく、そして、これらを整理し適切に使っていくことが必要だと思います。
 また、日本では、外交に関するリテラシーが非常に弱いです。まず政策担当者の意図が、国民に説明されていない。そのことをどう評価するかも、必要なことだと思います。

 山口 国際世論というレベルでも同様のことが言えます。ウクライナは西側を中心とした国際世論を味方につけましたが、果たして日本に同じことができるのかは自信がありません。慰安婦や徴用工、太平洋戦争などの歴史認識問題も、日本では二国間の課題として扱われがちですが、本来は国際世論の視点で捉えなければなりません。特に韓国・中国は、そうしたことを熱心にやっています。日本の外務省も力を入れていますが、一般にどれほど理解されているか……。よく耳にするのは、日本の留学生が他のアジアの留学生から歴史認識を問われた際、知識がなく返答に窮してしまうケースです。日本政府の公式見解を示せとは言いませんが、ある程度自身の意見を持つことは大事なんだと思います。
 「自由で開かれた」秩序の維持の重要性については、冒頭でも触れられた日本が共有する「法による支配」や、G7の結束といったことに結びついているわけです。ここでの難問は、近年日本が出している外交方針「自由で開かれたインド太平洋戦略」(FOIP)で、人権などが必ずしも強調されていないことに表れています。これは、日本にとって重要なパートナーのなかには人権に関して疑問符のつく国もあることの反映で、そうした国々も取り込むため声高に人権だ何だと語らずに、表現をマイルドにしているという見方があります。まさにパブリシティの話であって、日本の目指すべき方向は一定程度定まっているけれども、その打ち出し方如何によってはマイナスに作用する可能性もあります。

 片山 昨今の非民主化の潮流のなかでも、自由貿易や民主主義であることのメリットを粘り強く主張し続ける必要があると思います。パワーを持っていない国々にとっては、ルールを守ったうえで物事を進めることが結局は得であること、貿易戦争のような事態が互いに利益を生み出さないことを訴えかけるのが重要です。これが国力の低下してゆく日本にとって一つの道なのではないかと考えます。
 また、国際社会への訴求力が弱いことも、おっしゃる通りです。特に多国間外交のダイナミズムを捉えることが、日本は戦前から不得手な印象です。例えば昭和戦前の平沼騏一郎内閣がドイツとの対ソ連携強化を模索するも突然独ソ不可侵条約が締結されたり、松岡洋右外相が独ソ戦が始まろうとするさなかに日独伊ソ四国協商を構想したり、と国際情勢を読み切れていません。戦後でも、池田勇人が日米欧は自由主義陣営の三本柱であるということを言い出しますが、そもそも日本が柱になるだけの力があったか疑問です。さらに一九六〇年代前半当時は、イギリスのEEC加盟申請をフランス主導で拒否するなど、ヨーロッパ内部でも亀裂が生じ始めているわけです。恐らく日本はそうしたヨーロッパ情勢が見えていなかったと思います。この傾向は、現在に至るまで変わらないように感じます。

 豊田 多国間ではなく二国間で外交を捉えがちだという点で付け加えるとすれば、戦後日本そのものが米国の庇護の下で構築されてきたことが大きいと思います。

国際連合の活用法

 豊田 今さらこれを取り上げるのかという論点かもしれませんが、国際連合(国連)の話題があります。日本では、国連を神聖視していたきらいがあります。安保理の構造上はほぼ不可能な常任理事国入りを目指してきたこともそうした意識の表れではないでしょうか。
 私は、国連を日本のパブリック・ディプロマシー(広報外交)の道具の一つとして使うような狡猾さがもっとあってもよいように思っています。

 片山 戦前でいうと国際連盟(連盟)の話になりますが、当時まだ大国ではなかった中国が、この連盟を一番うまく活用したということがよく言われます。連盟の場を使って、満洲事変をはじめ日本の侵略がいかに酷いかをアピールする。逆に日本の場合は連盟に対する不信感から日中の二国間外交にこだわり、結局は国際的な孤立を深めていく。国際組織への神聖視にしろ、不信感にしろ、使えるものは使っていこうという意識が欠けているのは戦前・戦後で連続しています。
 国連常任理事国入りについては、戦前から続く大国意識の現れのように思います。そこで何かしたいというよりも、大国としてのプライドを満たしたいという動機の方が強いのではないでしょうか。

 山口 一九五六年末に日本は国連に加盟しました。翌年に出された「外交三原則」でも、自由主義諸国との協調・アジアの一員としての立場の堅持と並んで、国連中心主義がうたわれています。同年に閣議決定された「国防の基本方針」でも、国連・日米安保・自衛力の三本柱が掲げられています。その頃から国連は、日本外交の柱の一つだったわけです。ただ、形のうえでは国連を利用していこうという姿勢がみられますが、それがどのような具体的成果を生んだかという点では疑問も残ります。
 また、国連自体の性質も変化しています。初期の頃は欧米諸国のプレゼンスが大きく、欧米世界で一定程度票がとれる状況にありました。しかし、第三世界の国々の加盟が増加し構成が多様化することで、徐々に大国だけで操縦できる機関ではなくなってきた。また一九九〇年代の冷戦終焉後、先ほどの国連の「神聖視」や国連中心主義といった楽観的な期待が膨れる。しかし実際は、その後のアフガン・イラク戦争もあり、国連への疑問が目立ち始め、現在ロシアのウクライナ侵攻では機能不全が顕在化しています。

 豊田 現在の国連では、コンセンサスがあった北朝鮮の非難決議でさえも成立が困難になっています。機能不全に陥った国連を神聖視するのでなく、日本はこれをどう活用できるかを考えるのが肝要です。私は、先ほどの日本が伝統的に弱いとされた、自身の立場を国際世論へ訴えかける場として使うことに利用価値を見出しています。
 そして、政府から国内世論に対してもそうした国連活用ビジョンを説明する場を設けるのも必要なことだと思います。総じて日本は国家として何を守るべき国益と考えるのか、それを守る上で何をするつもりなのかというナラティブ(自身の立場を語る物語)の設定が弱いです。日本の官邸や省庁の会見をみても、お決まりのことしか答えない歌舞伎・ショーのようなことをやっている。本来であれば、会見は政府がナラティブを設定する場にならなければいけない。ビジョンの公共化がないのは、今の時代において大きな問題です。この情報社会で、国民は様々な媒体で外交情報を得られるわけですから。

 山口 たしかに国連は権力政治の調整の場としては十分に機能していませんが、ユニセフ(国連児童基金)やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などは重要な役割を果たしています。ここでの話は、国連不要論には与していないことを付言しておきます。

 片山 連盟においても、保健衛生や難民といった分野で歴史的意義があります。さらに冷戦下の国連では、超大国である米ソも、例えば、デタント期に自国の方が緊張緩和に熱心であるとアピールするなど、アジア・アフリカ諸国への配慮が窺えます。そうした大国への一種の抑止力としての期待は、完全には捨てられません。

 豊田 そうですね。規範の力を形成していく力が国連にはあるのだと思います。例えば核を巡る議論では、現実においては核が必要だという主に大国側の核抑止の論理がありますが、一方では核禁止条約にみられるように核は絶対悪であるという理解が国連の場で形成されています。米国の核の傘に守られながら、唯一の被爆国として核無き世界を主張する日本のナラティブをいかに設定するのかも問われることになると思います。

(#3へつづく)


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