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怒っていいと分からずに過ぎてしまったこと

一昨日くらいから、イライラしている。きっかけは特にない。

でも、たぶん人に対してイライラしている。今日もイライラしている。
今日のイライラは原因ははっきりしていた。この気持ちは友達に対してだ。

何年もしまい込んだ想いってのは、時間が経てば昇華されるものでしょう・・・ってきれいごとだった。
私は人間だな。黒い黒い部分をしっかりと持った人間だった。そう思うとなぜか落ち着くかもしれない。

きっかけの話は10年くらい前のこと。小さな頃からずっと友達だった子がいる。優しくて頼りになる子だ。いつも相談したりされたりする間柄だった。だけど、その子にある日言われたことがあった。異性関係の事について数年黙っていたことを打ち明けられて、そして彼女は数日後に地元を出る話をされた。あまりにも突然で、びっくりして、その話を打ち明けられた私の気持ちは一瞬でいろんな種類の気持ちが駆け巡ったことを覚えている。
自分でも理解できない焦燥・怒り・驚き・悲しみみたいな気持ちのミックスが起こっていた。一番は「何で?どうして?悲しい」だった。呆然だった。当時の私は「何で言ってくれなかったのか?悲しい。怒りの気持ちだってある」と伝えられていないまま過ぎてしまって今がある。

2024年の今日、その時の悲しみや怒りがどっと押し寄せた。と同時に。私はあの時に、言いたかったことがあったんだなって気づいた。本当は気づいていたけど。いい人のふりして気にしていないフリをして。胸にしまい込んでいた。
それほどまでに、私は自分の想いや考えを抑え込む習性や習慣が身についてしまっていたことも、同時に悲しい。怒っていいと怒りの感情を出していいのかも分からなかったし知らなかった。

人とぶつかることを避けてきた私。それは同時に自分も傷つけていた。
自分が我慢すればいい。それは感情のバリエーションを自ら選択することを放棄することだ。感情を出すということは、エネルギーを使うし、体力も必要。ぶつける相手も居てこそだ。
だけども、いい人ぶったり、寛大だ、優しい、という自分のカテゴライズした自分象の中にいることで、私は我慢を選び感情の豊さを感じるという人生の出来事を味わう行為を放棄していた。

そんな風に過ごしていたから、自分は傷ついていた。という想いから抜けられずにいた。傷ついていたわけではなく、ただ相手に自分の感じた気持ちを正直に伝えなかっただけのこと。

文字にしたら、そんな簡単なことを私はできなかった。でも、いいんだ。それに今気づくことができたから。
感情の放出をやっていいかの許しを出すことを私は故意にコントロールしてきた人間だと気づいる今。私はそれを辞めようと取り組んでいる。
この出来事、ずっと私の中に居続けた意味があったんだと思う。

黒い気持ちではないなこれ。
健全で清い、人間らしい気持ちじゃないか!

そして、人からどう思われるか?を気にする私の中の私は少し小さくなった。

最後まで、読んで下さりありがとうございます。




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