和製ジャズ温故知新.再編Vol.12/江利チエミ
何か混迷しているように見える現在の日本ジャズの世界。
今年も新たな気持ちで『和製ジャズ温故知新.再編』をアップしていきます。
よろしくお願いします。
モカンボセッションでモダンジャズの幕開けとなったが、モダンジャズが大衆の音楽とはならない。大衆の欲していたものは、軽音楽という日本語の歌入りのジャズ(歌謡曲)を欲していたのである。
ジャズブームの最中の1952年、日本にとって最も大事な「日米安全保障条約」が発効される。 この発効により、占領軍は駐留軍となり規模を縮小して日本に残ることとなる。
基地周りをしていた日本人ジャズマンは、基地以外でも演奏するようになりジャズブームに貢献するのである。
そのような中、キャンプ周りで鍛えた歌唱力とジャズフィーリングを日本人のもともと持っていた「コブシ(節)」を取り入れ登場した歌手が「江利チエミ」である。
彼女は幼い時からキャンプ周りで身に付けた、黒人のジャズフィーリングと日本人の心の底流に流れる浪花節の要素をあわせ、「テネシーワルツ」を歌う。この歌は瞬く間に日本人の心をつかみ、一躍アイドルのような存在となる。
1953年のこの時期同じように、「思い出のワルツ」で雪村いずみがデビューする。ジャズと邦楽フィーリングをあわせた江利チエミ、ミュージカルの歌い方をベースにした雪村いずみ、演歌の美空ひばりをあわせて元祖!「三人娘」として時代をつくる。
敗戦によって傷ついた大衆の心には、舶来音楽のジャズよりも歌謡曲をベースにした、歌謡ポップスの方にブームは移り、ジャズブームは終焉する。
次回Vol.13に続く。