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和製ジャズ温故知新.再編Vol.7/ナンシー梅木

終戦後、怒濤のように米国から入ってくるジャズの動きにつれて
戦後初のモダンジャズコンボ「飯山茂雄&ゲイセクステット」
結成される。終戦から翌年の1946年のことである。

飯山茂雄セクステット


フランシス・キーコ(Pf)、レイモンド・コンテ(Cl)はフィリピン出身のミュージシャンでセンスの良い演奏は日本のジャズ界に大きな影響を与えている。角田 孝はいち早くモダンギターを身につけた名手、飯山茂雄はジーンクルーパスタイルからモダンドラムスタイルをいち早く叩いたドラマーである。

その他、最初のビ・パップ・バンドの一つと言われる松本 伸とイチバン・オクテット(後に秋吉敏子も参加)や長尾正士のビーバップ・エースが編成されたのも昭和23年(1948年)のことである。

この時代星の数のように多くのグループとミュージシャンが登場するが、その中であまり聞かない名前にナンシー梅木(本名/梅木 美代志)がいる。

ナンシー梅木/1929〜2007.78歳没

ジャズヴォーカルで女優でもあった彼女は、40年代中から 50年代日本と米国をまたにかけて活躍する。 アニタ・オデイ似の声で歌うハスキーボイスはなかなか秀逸である。 特に女優として日本人として初めて1957年ハリウッド 映画「サヨナラ」でアカデミー賞助演女優賞を受けている。 

今で言う、国際派女優の走りである。  

なお、この年の助演男優賞にはやはり日本人の早川雪洲戦場にかける橋がノミネートされている。そのように世界を股にかけて活躍をした彼女もまた、戦争の影響を大きく受けた一人で、晩年はミズーリ州オーザックで静かに亡くなっている。


次回Vol.8に続く。


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