和製ジャズ温故知新.再編Vol.1/二村定一
2012年、半年に渡り日本のジャズ起源を調べるために、『和製ジャズ温故知新』を書いた。それから14年が過ぎ再び昭和の時代を考えている。
というのも、昭和から平成に変わり31年が過ぎ、2019年新しい年号になった。益々昭和が遠くなる今、再び昭和のジャズをもう一度振り返るのも良い気がする。そこで『和製ジャズ温故知新.再編』として考え、そこから、日本におけるポピュラーとジャズの息吹が感じられたらと思う。
第1回は日本ポピュラー(ジャズ)の始まりからである。
*********************************
日本のジャズ黎明期の前、先駆となった人のことを調べている。
調べてみると、1900年代からすでにジャズとは言えないまでも
ポピュラーともジャズとも付かないクラシックの要素が入った
ものがこの時代にある。
上記に出てくる二村定一とは ”My Blue Heven"(私の青い空)で一世を
風靡する人である。上記の明治45年(1912年)というと明治の終わり、
大正に入ろうかという頃である。 この時期から日本にはジャズの芽がある。
アメリカのジャズが形作られたのが1890年後半なのでほぼ同時期にジャズの時代が作られていたことになる。これは非常に重要なことで、輸入大国として名を馳せている日本が、上記記述によると逆に向こうに押しかけたともとれる。
この時期を調べると、明治時代俗謡の名称で多くの曲が一般大衆に聞かれている。日本最初の演歌を作る「ノンキ節」の『添田唖蝉坊』はその代表と言える。昭和に入ると昭和歌謡の父『服部良一』が活躍を始める。
1930年前後の話である。
アメリカではこの時期すでにスイングジャズが始まっている。
以下次回Vol.2に。
See You Soon!!