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和製ジャズ温故知新.再編Vol.2/服部良一
昭和初期の和製ポピュラー(ジャズ)を考えるとき、服部良一の名は避けて通れない。
彼の名前は、戦後「青い山脈」のヒットで全国的に知られたものとなるが、
昭和初期からすでに、ジャズのフィーリングを取り入れた曲を多く書いている。「蘇州夜曲」「別れのブルース」「東京ブギウギ」等は昭和モダンと呼ばれ、多くの聴衆のの支持を得ている。
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この時代は満州事変から太平洋戦争に向かう時代であり、時代背景は絶えず不穏な空気が漂っている。しかし、ダンスホールを中心としたジャズ演奏は始まっており、スイング演奏も徐々に定着したものとなっていたが、和製ポピュラー、昭和歌謡といずれもが渾然一体となり、時代を作っていた。いわゆる今でいうフュージュンである。
この場面でも時代を牽引していたのが服部良一である。
ジャズと歌謡曲の橋渡し役として彼の果たした役割は非常に大きい。
この後、日本は太平洋戦争に突入し、ジャズ音楽は敵勢音楽としてしばらく、表舞台から消え軍事歌謡一色になる。ジャズの不毛の時代がやってくるのである。
この時代この3人に光が当たる。
1910年森山 久(サンフランシスコ生まれ)
1911年 ディーブ釜萢(釜萢正)(ロサンゼルス生まれ)
1916年アイバ・戸栗(戸栗郁子)(ロサンゼルス生まれ)
アイバ・戸栗(戸栗郁子)は戦中DJの奔りと言われる「東京ローズ」である。彼女を使い日本政府はアメリカ向けにジャズ音楽を流していたのである。
だが、これは国家政策の一環である。しかし、戦中でも堂々とジャズを演奏している人もいたのである。ディーブ釜萢(かまやつひろしの父)もその一人である。
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