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和製ジャズ温故知新.再編Vol.3/東京ローズ

戦時中ジャズが全く行われていないかというとそうでもない。
前回Vol.2で、3人の名をあげた。

1910年生まれ 森山 久(もりやまひさし サンフランシスコ生まれ)
1911年 生まれ ディーブ釜萢(かまやつ)(釜萢正)(ロサンゼルス生まれ)
1916年生まれ アイバ・戸栗(戸栗郁子)(ロサンゼルス生まれ)

森山 久は歌手森山良子の父、ディーブ釜萢はかまやつひろしの父である。
この二人はアメリカで日系のジャズ歌手として活動していたが、世界大恐慌
のあおりで日本に来日。いずれも日本に帰化し成功している。

歌手ではない戸栗郁子は戦中アメリカ向けの政策放送(NHK)で
DJのはしり「東京ローズ」として活動し成功する。

戸栗郁子/東京ローズ

「東京ローズ」この名前は、政策放送を聞いていたアメリカ人が付けた名前である。戦後、日本になじめない彼女は帰化することなくアメリカに帰るが、政治犯としてとらえられ、不遇な一生を送ることとなる。

アイバ・トグリ・ダキノ(戸栗郁子)
・1916年7月4日ロサンジェルス生まれの米国籍の日系2世。
・両親は山梨県からアメリカに移住し、食品雑貨商を営んでいた。
・1940年カリフォルニア大学を卒業。
・1941年大学院在学中に叔母の病気見舞いで日本に滞在中に太平洋戦争開戦、帰国できなくなる。
・1942年同盟通信社に就職。
・1943年日本放送協会で臨時雇いの英文タイピストとして働きはじめ、スカウトされ「ゼロ・アワー」のアナウンサーになった。
・1945年ポルトガル国籍の同盟通信社社員のフィリップ・ダキノと結婚。
・戦後、占領軍に反逆罪容疑で逮捕され、巣鴨拘置所に収監。証拠不十分で釈放。
・1948年アメリカに強制送還、再逮捕。
・1949年サンフランシスコ連邦裁判所で禁錮10年、罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪の判決を受け、服役。
・1954年仮釈放。
・1977年、3度の請願の末、フォード大統領の特赦により市民権回復。
・2006年退役軍人会から表彰を受ける。90歳で死去。

戦中「ゼロ・アワー」「サンデー・プロムナード・コンサート」などと
タイトルがついた番組でジャズを流し続けるが、その演奏に森山、釜萢
の二人も参加していたのである。

しかしこれも、戦局が悪化してくると米英音楽追放の動きが増し、
放送中止に。 これは1945年の敗戦まで続く。

戦後、森山久、ディーブ釜萢は帰化し日本のポピュラー、ジャズシーンで成功し平尾昌晃、ペギー葉山ら多くの後進をを育てるが、アイバ・戸栗(戸栗郁子)は故国に帰るも反逆罪の疑いで終身刑を受ける。
彼女のアメリカ国籍が回復したのは1977年である。

戸栗 郁子/晩年

戦中のジャズシーンに関わった日系の3人であるが、それぞれが
戦争によって人生が大きく変わっていく。

次回Vol.4に続く。


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