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南城市玉城を拠点にする宮平農園は2017年9月に法人化し、現在では花卉(トルコキキョウ、菊)や野菜(オクラ、ナス、ゴーヤー、スイートコーンなど)、果樹(マンゴー、ドラゴンフルーツなど)の栽培を行っています。 三代目である宮平 翼(みやひらつばさ)さんは、1982年生まれ。地元・玉城の学校を卒業後、琉球大学農学部へ進学。大学卒業後は沖縄県農業試験場やJAおきなわでの経験を積み、24歳で就農しました。
宮平さんは、地元農業の発展に尽力しながら、地域と共に成長する農園経営を目指しています。
宮原さんの前半です。

農園の作物
ーー本日は初めて来たエリアなんですけども、玉城区の中山というところにおりまして、周りはサトウキビ畑でございます。 本日お話を伺いますのはこちらの方でございます。自己紹介をお願いします。
「合同会社宮平農園の3代目ぐらいになるのか、宮平 翼(みやひら つばさ)と言います。 よろしくお願いします。」
ーーありがとうございます。宮平翼さん、宮平農園さんはここでどんなものを作ってらっしゃるんですか。
「メインは菊とトルコキキョウ、花がメインですね。 その中で野菜とか果樹とかいろいろ作っている感じですね。」
ーー菊とかトルコキキョウ、トルコキキョウってどういうやつですか。
「バラみたいな花って言ったらいいのか。最近沖縄でも作る農家が増えている品目ではあります。」
ーーなるほど。観賞用のものですか。
「そうですね。観賞用です。」

農業歴と経験
ーー翼さんが農業をおやりになって何年目なんですか。
「大学卒業して、別でも働いて仕事したんですけど、そこから24ぐらいのときから17年ぐらいになります。」
ーーじゃあ1回学校出られて、2年ぐらい。
「2年ぐらいは別の仕事をしながらも、子供の頃から自分たちの生まれて畑にいるのが当たり前の状況に戻りたいというか、そこにいるのが当たり前だったので、その方がいいなと思って農業をし始めました。 でも結局は、全部農業試験場だったり農協だったりで、農業に関わる仕事をずっとしていたので、そこからまた自分で作ることにやりたいなと思って始めました。」
ーーちなみに大学を出られた後、2年間何をやっていたんですか。
「農業試験場というところで臨時で働いて、その後農協で営農指導員を1年やって、そこから農家になっています。」
ーー失礼ですが、学校も農学部なんですよね。
「そうですね。琉球大学の農学部卒ですね。」
ーー農業エリートですね。
「よく言われるんですけど、大学まで行って農業ってよく言われて、結局は。 でも、たまに変わった人いるよねって言われますね。 変わった人たちが農業をしているよねって言われます。農学部でも。」
ーーお父様おじい様の代からずっとここで、お父様の代の時はどういうものを作られていたんですか。

家族の農業歴と作物の変化
「お父さんの時から花を作り始めて、菊ですね。私が13歳、14歳ぐらいの時に作り始めたので、29年、菊は。で、トルコキキョウが12年目になりますね。その前はずっとサトウキビだったり野菜。小学生の時はキビ畑に行ったりとか、野菜の収穫の手伝いではしないんですけど、袋に詰めたり。選別作業は一緒にやって、出荷作業でおじいの車に乗って、軽トラに乗って一緒に農協に持っていくとか。それは楽しみだったっていうか。」
ーー農協ってのは南城市にあるんですか。
「そうですね。前よりは少なくなって、地域ごとに集める場所があって、その頃は。 そこに持っていくのが楽しみで。」
ーー勉強不足ですみません。菊っていうのは沖縄の島内での消費?
「ではないですよ。ほとんどが県外出荷ですね。」
ーー県外に出すんだ。
「そうですね。県外がほとんどです。ほとんど。」
ーー悪くならないですか。
「いや、一応菊は輸送には強いので、その辺は大丈夫ですね。」
ーー全く知りませんでした。
「年末とお彼岸、3月のお彼岸には沖縄県の菊が、多分8割9割は沖縄県産で、全国の菊が。」
ーーそうなんですか。
「小菊はほぼ沖縄です。冬場。」
ーー知ってました?ギャラリーの方に今一言。知ってました?知らないと言ってました。そうなんですか。
「そうです。僕、新潟県とかですけど、てっきり家の近所で作ったと思ってた菊は。沖縄県産の?」
ーーそうですね。冬場の菊は沖縄産がほとんどです。 ちょっと細かい質問しますが、そうすると宮平さんが農協さんに一回出荷するんですか。

農協と市場の関係
ーー農協が、例えば僕、横浜に今住んでるんですけど、築地に行くんですか。豊洲?
「大田市場。」
ーー大田市場。大田市場に船便?
「船便だったり飛行機だったり。」
ーー飛行機で行くんですか。
「船便で出荷時期を伸ばしたりとかしながら。船便だと運賃がちょっと下げられるので。」
ーーそうですよね。船便ってどれくらいかかるんですか、時間。
「5日くらい。」
ーー5日くらい。船便で大田市場に来て、大田市場から駅上の花屋さんに行く仕入れで。 そうすると、宮平さんが取ってから、横浜の善井さん家が仏壇があったとして、そこに並ぶまでは何日かくらいかかるんですか。
「早くてたぶん3日、4日なんですけど、この時期だったら1週間以上は後になると思います。」
ーーそうですか。宮平さんのような菊を作っていらっしゃる方というのは、他にどのくらい農家さんいらっしゃるんですか。

沖縄の菊の減少
「沖縄の場合、JAおきなわ、沖縄花というものと、あと大きいのは太陽の花。 太陽の花という出荷団体があるんですけど、JAでもだいぶ昔の2,3年前から半分くらい減っていって、この農家数が。農家数が半分に減っているので出荷量も半分くらいになっていて、今どんどん菊自体が出荷量がなくなってきている状態。 コロナもあって葬儀が減ったりとか、結局菊って仏花使いなんで、それでも告別式葬式とかがなくなったりとか、大きな葬式じゃなくても家族葬だったり小さくなったりで、花を使うことが少なくなって、菊が売れなくなって、それで菊の単価が下がったので農家がやっていけない。 またコロナの後に物価高だったり、そういうのが来たのも影響をして、農薬だったり医療だったり、いろんな箱とか資材、輸送費とか、全部上がったので、これでもやっていけないということで野菜農家に転身だったり、品目転換している状態ですね。」
ーーそうですか。その中で宮平さんのところは、お花とか菊、一本と言いますか、何割が?
「売上の7から8割ぐらいが花。」
ーー花ですね。そんなお仕事をなさっている宮平農園さんですが、仕事でどんなことが大変ですか?

農業の困難さと自然災害への対応
「農業の場合、台風とか自然災害との戦いなので、どうしても。 雨が続けば作物は枯れてくるし、台風が来て風が吹けば持たないし、ハウスまで壊されるし。」
ーー菊もやっぱりハウス栽培?
「そうですね。年末、12月はどうしても台風にあたる時期の8月植え付けなので、8・9という大きな台風が来る時期に植えるので、やっぱりハウスの中にはなるんですけど、ハウス自体は結局ネットだけなので、ビニールごとハウスが飛ばされるので、ネットなのでどうしても風が吹いてくるので倒されることも。台風との戦い。雨。雨はどうしても最近のゲリラ豪雨とか、大きい雨が降ったりするとどうしても水が溜まったりとか、畑も乾燥するので。」
ーーこのエリアで何ヘクタールぐらい持ちなんですか?
「この辺で10ヘクタールぐらいです。」
ーー10ヘクタールってごめんなさい。何メートルかける何メートルなんですか? 大雑把に言いますと。何メートル何メートル。
「一応3万坪ぐらいの畑を持っているんです。」
ーー3万坪?3万坪ときましたか。すごいですね。畑はいっぱいあります。
ーー3万坪。ちょっと想像つかないな。
「前、東京ドーム何個分かっていうのを計算したことあるんですけど、もう忘れました。」
ーーディズニーランドぐらいあるってこと?
「になりますかね。」
ーーディズニーランドが。それの7割8割がお花。
「でも今はキビとかも植えてるので、サトウキビとか。面積的にはサトウキビが多いではあるんですけど。」
ーーなるほど。ありがとうございます。 皆さまに聞いてみて、南城の好きなところはどんなところが?

自然
「南城市は海もあるし、山というか自然も多いし、史跡、城跡とか色々なところがあって、そういうところが好きだなとは思ってます。」
ーー海や山って歴史の。
「歴史のそうですね。城跡だったり、色んなこの史跡とか色々。 最近は回りはしないんですけど、そういうのがあるのはいいなとは思っております。」
ーー特にどういうところが好きですか?
「一番はやっぱり自然かなとは思ってはいます。また今でもウナギとかも泳いでるし。」

ウナギ
ーーウナギいるんですか? 「いますいます。大ウナギ。」
ーーウナギは川にいるんですか?
「川です。」
ーーそんなウナギが捕れるような川ありましたっけ?
「川というか排水溝。側溝ではないけど。」
ーー町中に流れてるやつに?
「そうそうそうそうそう。 この住んでる中山って地域は、山からの水が流れて海の方に行く、ちょうど途中なんですよ。 だからすぐ海が近くにあるし、海抜3メートルくらいになるので、流れるところ、そこにはウナギとか手長エビとかいて、子供が小学生の時は一緒に捕って遊んだりとか。」
ーー楽しそう。
「毎日朝、保育園に行く前に何かを捕って何かを持って保育園に行くみたいな。」
ーー手土産がウナギってやつですか?
「小学校にもウナギの稚魚が捕れたから、いっぱい持ってかして、水槽で飼わして。」
ーー南城でウナギ捕れるって実は今まで聞いたことなかったんですけど、食べられます?
「いや、おいしくないって言ってます。」
ーー大きな大ウナギ?
「大きくなった2メートルとかなるウナギが。」
ーーあるんですか。
「はい。」
ーーじゃあもう2メートル?
「はい。」
ーーヘビみたいなもんですね。
「そうそうそう。」
ーー食べないんですか? 「食べれないです。食べたことがあるみたいですけど、おいしくないって言います。」
ーーおいしくなかった。捕まえるだけ?
「捕まえて遊ぶだけ。」
ーー遊ぶでかい。
「飼うだけ。」
ーー飼う?
「飼います。」
ーー飼います。なんですか?
「水槽。」
ーー大ウナギを?
「1メートルぐらいのを捕まえて、水槽に入れて泳がしてる。」
ーーさて、南城の好きでないところを聞いてます。
「なかなか好きでないっていうのは難しいんですけど、みんなで協力して何かを成し遂げようとか、そういう気持ちが弱いのかなっていうのもあって、まとまりがないというか、多分どこの地域でもそうだと思うんですけど、そういうところがあるのかなっては思います。」
ーーなるほど。協力して成し遂げようっていう気運が出にくい?
「出にくいです。4つの市町村がまとまってできたっていうのもあって、やっぱりまだまだ地域、玉城は玉城、千年は千年、大里は大里、佐敷は佐敷っていうのもあるし、その中でも同じ中山内でもみんなで頑張って協力しようっていうのが、なかなか今では薄れてきてるので。」
ーーなるほどね。昔はでもあったってことですか?

若者の協力意識の減少
「昔はユイマールっていうのもあって、みんなで協力してっていうのもあったからまだあったんですけど、今の世代、自分たちの世代とかになると言い回る精神とか、言葉では言うけど、なかなかそういうのは残ってないかなって思います。 昔だったら、サトウキビの刈り取りを、今日はあそこの畑で、次の日はあそこの畑でっていう順番で回ったりとか、そういうのはあったんですよ。 私が小学生のときは、周りのおじいおばが、うちのおじいおばの畑の手伝いで収穫したものをネットに詰めて出荷する作業とかやったりとか。 だからもううちの実家というか、おじいおばのお家には周りのおじいおばが集まってくるって感じだったんですけど、今そういうのは多分ないと思う。 農家は自分たちだけで詰めて出荷して終わりっていうのが。」
ーーなるほどね。それはあれですかね、若い人たちがいなくなったっていうことと連携してますか。
「いや、人が減ったってのもあるかもしれないんですけど、でもそういう精神自体がもう、自分たちだけでやる、で終わらせるっていうのが、みんな強いのかなっては。」
ーーお互いに協力するっていう気持ちはなくなってきた。
「そうですね。」
ーーちょっと悲しいですね。
「そうですね。」
ーーじゃあもう少しあれですかね、お互いを協力し合えるような。
「そうですね。本来なら・」
ーー精神。気持ち。
「気持ちですね。あったらなってのは。」
ーーなるほど。はい、ありがとうございます。


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