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#33 沖縄大学教授 宮城能彦(みやぎ よしひこ)さん

沖縄大学教授の宮城能彦(みやぎ よしひこ)先生は、地域社会学を専門に、やんばるや離島を中心とした研究に長年取り組まれてきました。また、人と人を繋げ、地域を活性化することを目的に、社会人の「学び合い」の場を創出する「まなラボ」(一般社団法人 地域学び合い研究所)を立ち上げ、社会教育や地域支援活動にも力を注いでいます。
令和6年度より南城市観光協会の理事を務め、南城市のDMO組成検討市民会議ワークショップにもご参加いただくなど、南城市の観光地域づくりにも積極的に携わっておられます。

宮城さんの前半です。

自己紹介と研究内容

ーー本日はですね、初めてお邪魔したんですが、アカデミックな場所に来ておりまして、本日ご登場いただきますのはこちらの方でございます。 自己紹介をお願いします。

「はい、こんにちは。宮城 能彦(みやぎ よしひこと)申します。沖縄大学で勤めております。」

ーーはい、ありがとうございます。沖縄大学の宮城能彦先生、いつもワークショップにご参加いただきまして、ありがとうございます。

「はい、もうすごい勉強になってます。」

ーーいえいえ。宮城先生、大学の教授に聞くのも何なんですが、どんなお仕事なさっていらっしゃるんですか。

「まあ、教育半分、研究半分というか。研究のほうはですね、地域社会学といって、いろんな地方を訪ねて、地域おこしとかそういったことのことについて地元の人がいろんな話を聞いてとかですね、そういうのを勉強させてもらってます。 でも特に私の場合、文化とか歴史のほうが中心なので、その地域の歴史をですね、地元の人からお話聞いてまとめていくと、そういう仕事をしております。」

共同売店と地域社会学

ーー面白そうなお仕事ですね。

「面白いです。」

ーー面白そうですね。ちなみに沖縄でいうと、どんな研究をなさっているんですか。

「特にヤンバルとか離島のですね、共同売店というですね、地域の人が出資して、地域のために作った売店、小売店なんですけども、これがなんと120年前に、沖縄オリジナルで沖縄の人が考え出して作ったシステムなんですね。 システムとしては全くコープ、生協と同じで、共同出資して、みんなが株主、みんなが経営者、みんなが所持者というような仕組みを、全く関係ないところで独自に作り出したんですよね。それがかつて沖縄本島の全域にあって、今はヤンバルとか離島にしか残ってないんですけど。」

ーーなんで離島とかヤンバルにしか残らなくなっちゃったんですか。

「もう理由は簡単です。不便なところだけ残ったんです。 便利なところは、ヤンバルでも名護に行けば大型ショッピングセンターがあるので、そこに車で1時間も行けば買えるので、そういうところはどんどん地域の商店が必要なくなっちゃうんですよね。 不便なところは、特にお年寄りのために残そうということで、無理してかなり頑張って残していますね。そこが面白いです。」

ーーというような共同売店とかをお調べになって、本とかに書かれてるんですか。

「そうですね。」

ーーあと、こんなところに行って、こんな面白いところに行ったみたいなのはどうですか。

文化交流と地域訪問

「いっぱいありすぎてですね、沖縄は面白いところだらけなんですが、やっぱり何が楽しいかって、ヤンバル行って、ヤンバルのおじぃ、おばぁ、おじさん、おばさんと一緒にお酒を飲むっていうのが最高に楽しい。」

ーー楽しそうですね、それ。

「僕らはいかに本音を引き出すかっていうのが商売なので、本音を引き出すためにはやっぱりお酒も必要だし。」

ーーそうなんですよね。

「普段から非常に、こちらが腹を割って話す。じゃないと向こうも本音話してくれないので、全部腹を割って話して飲んでってやるから。だからヤンバルどこ行ってもですね、誰も私が仕事で来てると思ってないんですよね。宮城先生また飲みに来たのって、あんまり飲みすぎないよってしょっちゅう注意されてます。」

ーーどのくらいの頻度で行かれるんですか。

「コロナ前はほぼ月に1回は必ずヤンバルか離島行って。沖縄の主な離島、宮古、石垣とかは最低年に2回、小さな離島も2年に1回は行くってペースだったんですが、さすがにちょっとコロナ後からちょっとペース乱れてしまって。それでもヤンバルは月に1回は行くし、先日も行ってきたばっかりなんですけど、あと離島も宮古や山とか沖縄島は年に2回、3回は行って。 何するわけじゃないんですけどね。定点観察っていうのがどう変化していくっていうのを肌で感じるっていう感じで行って、酒飲んで帰ってきます。」

ーー沖縄の島ってどういうふうに変わりつつあるんですか。

「インフラ整備が全体的に進むと、同時に島がだんだん取り残されていく感は逆にありますよね。」

交通の便の格差

「あとやっぱり島によってかなり差があるんですけども、往復が便利なところ。 例えば大きな島、宮古とか石垣だと、沖縄の南城市に行くバスよりも飛行機のほうが多いんじゃないかぐらいあるので、全然不便ないですよね。 出張でも日帰りでしか認めてくれないし、というような便利。 でもまた離島の離島、八重山でも石垣島から船に乗って、竹富町の場合は全部船に乗って行くので、そうするとまた離島の離島となると、かなり交通の便も不便だし、ということは生活物資も高くなるし、台風が来ると特に生鮮食品が届かないとかいろんなのが出てくるので、相当格差は広がりつつあるような感じがしますね。」

ーーそうですか。なるほどね。ありがとうございます。 たぶん僕、仕事の立場は違うんですけど、先生とやってることほぼ同じような気がします。

「お金に関する才能があるかないか。」

ーーいやいやいや。

「経営とかいう、全くわからない。」

ーー経営者の山谷をただ生きてるだけでございます。 そんなお仕事をもう何年やってらっしゃるんですか、先生。

「もう30年やってます。」

ーー30年。 ちなみにここに至るまでの人生を、ダイジェストでレビューいただいてもいいですか。

島からの出所と島の理解

ーー沖縄でお生まれになった。

「そうですね。沖縄で生まれて、ちょうど6年生のときに日本復帰して、そのときにいろいろ生活が変わるんですけども、やっぱり僕らの世代って復帰運動とか、復帰後の非常に苦しい時代とか、大人たち見てるので、ちょっと身の程知らずなんですけどね、沖縄を俺がなんとかするんだみたいな気持ちで勉強してるんですよ。 そんなに勉強したかって言われると、ただ気持ちだけはですね。 あともう一つ、今の若い子たちと違って、僕らの時代はやっぱりこの島から出たいと。 沖縄というこの狭い島から出て、本土に行ってみたいと。向こうで生活してみたいと。 私も本土の大学行きたかったんですけども、経済的学力的にありまして、泣く泣く琉球大学に行ったと。 それでも夢忘れられずに、大学院を兵庫のほうに行って、誰でも名前かけば受かる大学院ってないかなと思ったら、あったんですね。」

ーーそんな大学院あるんですか?

「名前言うと、そこの大学に名誉棄損で訴えられるかもしれないですけど、実際そうであったんで、そこに行きました。 研究者になるとかではなくて、とにかくモラトリアムと島から出たいというだけで、貧乏でお金もなかったくせに、極貧生活をしておりました。 そこでやっぱり、ほとんどの沖縄の人そうなんですが、沖縄に限らず島の人ってあるじゃないですか。島から出て初めて、自分が島のこと何も知らないんだって気がつくじゃないですか。 いろんな人に聞かれても答えられないとかですね。 だから、俺は沖縄を救うんだとか言ってるわりに、俺何も知らないじゃないか。 じゃあ俺、沖縄研究しようということで」

沖縄研究と歴史の重要性

「卒論からなんですけど、沖縄研究を始めて。本当は全国の調査したかったんですけど、帰ってきて調査とか始めたときに、最初短大からで研究費とかなかったんですね。 それでお金なしでどうやったら研究できるだろうと考えたら、そうだ、旅費のかからない近いところを研究すればいいんだということで、沖縄研究を始めたという。 だんだんお金ができてくると島に行って、あと全国いろんなところに行ったりして、身近なところからやろうということでやったんですね。 それでだんだん沖縄の研究してるうちに、やっぱり歴史も勉強しないといけないしということで、歴史をもっともっと遡らないといけないとかやっていくんですけども、あと地域おこしとかそういったのに関わってくると」

観光業と地域振興の課題

「1970年代の後半から急激に旅行者、観光客が増えて、僕らも本当にワクワクしましたよ。」

ーーそうですか。

「JALのキャンペーンで、綺麗な女の人たちが水着で歩いてるじゃないですか。 どうやってナンパしよう。大学生の頃みんなそんなこと考えてましたよ。 とにかく異文化がいきなりやってくるわけですよね。 最初は良かったんですけど、今度は中国人のインバウンドが出ると、もう完全にキャパオーバーで、悪いことしかないと。 特にヤンバルとか共同売店の研究してると、共同売店にトイレだけ借りていくっていうのばっかりで、トイレ借りるだけでも水道代とか電気代とか出てるわけですから、どうも観光客って排気ガスとゴミしか残していかないと、お金を落としていかないと。 じゃあお金を落とす仕組みってどうしたらいいんだろうかっていうのは、全く専門外なのでわからないと。それはでも真剣に考えないと、このままじゃただ消費されて終わるよと。 大手資本がホテル作って資本回収したら撤退していくっていうね。 そんな感じで終わっちゃうっていうすごい危機感が10年以上前からあって、でもどうしていいかわかんないというところで、このDMOに出会ったっていう感じなんですよ。」

ーー南城のDMOどうするか話に先生が登場していただくわけですね。ちなみに先生は今南城市ではどんな活動をやってらっしゃるんですか。

「南城市、今、観光協会のありがたいことに理事にしていただきまして、僕の後輩がずっと理事してて推薦してくれた。 なかなかヤンバルの研究ばっかりだったので、どうしても南部のほうとあまり関わりなくて、なんとかどっかでこねつけたいなと思ってたら、ちょうど後輩が来てくれんかって誘ってくれた。非常にありがたい。 それでこういうDMOの勉強を知りまして、できるだけたくさん勉強しようと思って。」

ーーありがとうございます。定期的に南城に今ご訪問いただいてるという感じですか。

「そうですね。今のところ皆出席です。」

ーー素晴らしい。 さて次の質問に行きたいんですけども、今南城の観光協会の理事もやっていただきながら、南城に関わっていただいてる宮城さんなんですが、南城の好きなところはどんなところでしょうか。

南城の魅力

「南城は好きなところっていうよりも、ちょっと贅沢でしょって言いたいぐらい。 まず史跡多いですよね。グスクが多い。斎場御嶽あると。 それから玉泉洞、南都もあるし、なんでもあるって感じですよね。 こんなに恵まれた、沖縄自体が恵まれてますけど、歴史も文化も自然も、海も綺麗だし、歴史文化も全部揃ってる。 こんな贅沢なところはないっていうぐらい南城は素敵だと思いますね。 あと今回やっぱりいろいろ関わってみて初めて、若い人たちがすごい前向きというのが、非常に嬉しいというか素敵だなと思いますね。」

ーーそうですか。

「やっぱりちょっと過疎地に行くと、どっかやっぱりちょっとアレなんですよ。ネガティブな。」

ーーありますね。

「どうせダメなんだみたいな。」

ーー分かります分かります。どうせ私頑張っても報われないよねみたいな、空気感が漂ってますよね。

「そうじゃないんだよっていうところが大変なのに、南城の場合はむしろ若い人たちに、今回もぜひ来てくださいって誘ってくれて、行くと非常に明るく受け入れてくれるんで、この前向きさっていうのは、これはひょっとしたら歴史とか文化、自然以上の南城の財産じゃないかって思うぐらいですね。そこが今ますます南城大好きになっちゃう。」

ーーいいですよね。 歴史文化に非常に恵まれて、なおかつ若い人たちがやる気があるところがいいなと。 ありがとうございます。

若い人たちの前向きさ

ーーあえて皆さんに聞いてますが、好きでないところ。

「これはですね、最近はそういう人かなり減ったんですが、昔、もう30年ぐらい前の話なんですけど、玉城の人に地域自慢してっていう、玉城のいいとこなんですかって聞いたら、那覇に10分で行けるよとか、那覇にどんなに混んでっても30分では那覇に行けるよっていう、みんなこんなことばっかりか、なんかすごい悲しくてですね、え、那覇に近いってことが自慢なの? みたいな。 だからちょっとこれは違うんじゃないかっていうのが、昔はあったけど、今は若い人はそういうことないし、でもひょっとしたら年寄りまであるかもしれないですよね。 今はですね、合併して地域の格差というか、地域にかなり特徴が違うじゃないですか。 例えば大里地域だと、やっぱり大里の人って何もないよって言うんですよ。 まあ確かにね、キビ畑しかなかったと思う。 でも最近ショッピングセンターがちっちゃくできたりしてるんですけど、人口増えているのに何もないよって言うんですよね。 そこはちょっと悲しいかなと。 あと一方で歴史文化豊かな知念、佐敷は、人口減ってますよね。 そのギャップを南城ってくくれないなと。 たぶんみんな口では南城って言うけど、やっぱりアイデンティティーはあれですよね。 知念だったり佐敷だったりとか。」

意識の形成

「特に年配の人たちに、南城市民であるという意識を作っていくには、まだまだ時間かかるなって感じは。」

ーー時間かかる感じですか。

「そうですね。というかもう基本無理だと思います。60代以上の人は。 やっぱりそう簡単にあれですよね。一体感というのは無理なので。 だから南城市民ですって、悪い意味で地域にこだわらない若い人たちが、南城市という一体感をこれから作っていくしかないと思います。」

世代間ギャップと地域コミュニケーション

「どうすると、結局世代間ギャップというか意識格差が出るじゃないですか。 そこがちょっと大変だろうなというところがありますね。」

ーー世代間ギャップが実際に存在していてと。 これをどう埋めるのかというところが課題だよねと。 実際にこのインタビューでいろんな方にお話聞いてわかったことが、横の繋がり結構ないんですよね。 あれがびっくりして、4万5千人のまちなので、農業は農業でもっとネットワークがあるのかなと思ったりとか。 今ちょっと個人的に古武道の先生のところに習いに行ってみたら、道場ではコミュニティがあるんだけど、他の道場とは全く連絡を取ったことがないって言うんですよ。 全くないですかみたいな。 それは4万5千のまちで、空手道場も古武道場も結構あるのに、なんか不思議な感じがしました。

「古武道の組織は別ですけど、地域に関しては、それはもう沖縄の歴史があって、かつて集落が完全に完結してたのと、集落の中で経済的にも、あとは親戚付き合いも全部完結してたから、集落の外っていうのも別宇宙だった、時代戦前は。 そういう伝統がいまだにまだ残ってるので、だから一番のアイデンティティは集落にある。 僕らの世代より上は。 あなたはどこの人って言ったときに、南城の人と言わない。 自分の集落を答える。 そこにアイデンティティがあるっていうのが、まだ続いてるっていうのはあると思う。 それをどう横につなげていくかですよね。」

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