創作大賞と感想と、そしてこれから
no+eの創作大賞が始まったころ、私は「もう何もしたくない、書けない、書きたくない、すべて終わりにしてもいい」くらいに燃え尽きていた。
文学フリマで全精力を使い果たし、そもそも自分が何を売っていたのかわからなくなるほど必死のパッチ(この言葉、知っている人がいるかどうかわからないけど)で駆けぬけた結果、日常に戻って真っ白になってしまったのだった。
しばらくぼんやりと暮らしていたが、6月、以前からの計画であった「京都サミット」に参加するため、一路京都へと向かった。そして京都で「恵文社」さんを訪れたとき、なにやらふつふつと、謎のエネルギーが湧いてきたのだった。
終わりじゃない。まだ終わりじゃない。
まつりが終わってもまだ違うまつりがあった。
炭火みたいに種火がくすぶっていたらしい。勢いはないがじんわりと、炭火は燃えた。
自分もまつりに参加しよう。
そう決めたが、でもまだ炭火の勢いが足りなかった。
それで、過去作品をリライトしてみることにした。
手直ししながら書き始めて、最初はサトちゃんに「これでいいかな」「私もう書けない」「こんなんじゃだめかも」「自信ない」と弱音を吐きまくっていたが、書いているうちにだんだん、書く喜びみたいなものが沸き上がってきた。
過去の自分と向き合いながら書く作業じたいは、楽しいばかりではなかったけれど、書くのが好きだという思いは、取り戻せたように思う―――と、そんなようなことを『眠る女』のあとがきにも書いた。
さて、自分の作品を出し終わったとき、いくつか、読み始めたり読み終わったりしていたnoteの中の小説があった。
素晴らしい作品、心を動かされた作品があれば、やはり、その感動を書いて伝えたくなる。他の人にも是非読んで欲しいという気持ちが沸き起こる。
かつて、感想文ばかり書いていた時期があった。
でもあまり読まれないので自信を無くし(あのころに「なんのはなしですか」を使っていいことに気が付いていれば!!)、noteではエッセイや創作などをメインに書くようになった。
久しぶりに、本気で感想文を書きたくなった。
これほどおおっぴらに感想文を書いて、それが歓迎される時期というのもないわけで、読んだ作品は可能な限り、感想を書いてみたい、と思った。
基本的に「小説のみ」に限定し、今回はエッセイはノータッチということにした。本当は、推したいエッセイやオールカテゴリの作品もたくさん、あったのだが(「なんのはなしですか」に関することは例外)。
15の感想文を書き、そろそろ7月が終わる。
番外編を書く予定だが、一応、これを区切りとする予定だ。
どうしても読める時間が限られている。
本当は読みたいけれど読むのを断念した作品がたくさんある。
もう「応援期間」には間に合わないかもしれないので、応援として力にはなれないかもしれないのだけれど、創作大賞の中間発表まではまだもう少し時間がある。
あとはゆっくり少しずつ、読ませていただこうと思っている。
感想文を書くにあたって、気をつけたことがある。
飽くまでも自分の中での決め事だから、一般的な「感想文の書き方」的なものではない。③などは、どうしても「すごい」「いい」「素晴らしい」と言う言葉を連発することになったりと、簡単には守れないのだが、それでも何が素晴らしくて何がすごいのかを、ちゃんと説明する文章と共に使うように心掛けた。当たり前のこと。その当たり前のことができるようになりたい、と文章修行を続けている。
感想は書いた人への「ファンレター」である。
そしてそれと同時に、その時の自分の「気持ちのスケッチ」であり、心のアルバムにしまうための作業でもある。ボタンを押せば絵が映る、写真のようなオートマティックさはないので、スケッチ。
スケッチといっても色々ある。鼻息荒く今この瞬間を残したいものもあれば、丁寧に丁寧に、細かいところを書きだしたいようなものもある。コンテを使ったり、鉛筆を使ったり。今どきはペンタブで描くこともあるだろうか。道具もそれぞれで、でもひとつひとつが、自分の心に仕舞われていく、その感覚。
好きなものを好きと、好きな人に好きという、そんな気持ちで書いている。あれ?どんなときも?槇原敬之?
なによりも、感想を書いた「作品」が読んだ人の心に残ってくれればと願うし、私の感想文の前半部分を読んで、その作品を読んでみたくなった人がいれば嬉しいと思う。後半を読んで、なるほどそんな感じ方もあるのか、と言ってもらえたら、望外の喜びだ。
感想を書いている間に、私の応募作にも感想を書いてくれる方がいて、感激した。
書いてくれた感想は、大切にマガジンに収めた。
感想を書いていると書き手の思いがダイレクトに伝わってくるものだが、それと同じように、読んでいただいた感想を読んでいると、どんな気持ちで書いてくれたか、どんなふうに作品に向き合ってくれたかが手に取るようにわかる。
この世の中に生きるひとりの人が、この物語のために貴重な時間を使ってくれたんだなと思うと、胸が熱くなり、目頭も熱くなる。
まつりの後、これから。
アンソロジーを作るミッションがあるが、それはチームでのミッションなので、私自身は、もとの道に戻ろうと思う。
もとの道———自作本作成に。
今日、最新刊『他人のそら似』の第3巻が刷り上がってきた。
自作本の18冊目(たぶん)、である。
刷り上がってくると誰かにお知らせしたくなり、子供がお母さんに報告するようにX(Twitter)にポストする。やっぱり嬉しくて仕方がない。