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思いだせない
ここのところ立て続けに夢を見ている。
夢をみたなという感覚と夢の余韻が残っているだけでなにも覚えていない。
今朝も夢をみた。怖い夢ではなかった。なにか楽しくて幸せな夢だったし、気になる人が出てきたと思うのだが、思い出せない。いい夢なら反芻したいのに、あてどもない記憶のあわいを彷徨うだけで手掛かりすらない。
若い頃は夢の記憶が鮮明で、ずっと覚えていたいと思えばそうできていた。夢をみる力も覚えている力も、衰えるのだろうか。最近は夢をみる回数すら減っている気がする。みるときは続けてみるのに、みないときはまるでみない。そんな時はスイッチが入ってスイッチが切れるように眠る。まったく味気ない。
夢をみる、というときの「みる」。目で見ていないものを見るときはどんな字を使えばいいのだろう。ぴったりの字が思いつかない。いちいち細かいことをしつこい、とそう言えば今朝あの人に言われたのだった。
自分を戒めながらまた夢に思いを馳せる。切れ切れの夢は断片ともいえないような塵芥のようで、頭に浮かぶけれどすぐ沈む。澱として沈んだものはふわふわと溜まっているだけでその正体は分からない。
雑事の合間に尻尾だけをちらつかせているような夢を追いかけて午後になった。納戸の片づけをしていて、北海道に本社のあるインテリアショップで見つけた不織布の収納箱が棚にぴたりと収まった。このぴたり感に尻尾を掴んだ気がしたのに、夢は活きのよい魚のように、私が差し伸べた網からひょいと飛び出して何処かへ去った。逃した。
仕方がないからおやつ代わりに蜂蜜を垂らしたミルクティーを飲む。
夢と同じように今日と言う日も去ろうとしている。今日のことも、私はきっとすぐに忘れてしまう。最近は夢だけではなく、日々、というものの移ろいも甚だしい。心臓は拍動を続け、何も考えずとも呼吸は健やかな、奇跡的に普通のいちにち。やりたいことはやり遂げたような気がするし、なにひとつできなかった気もする。それでも大切な日だった気がするのに。
まるで夢。
静かに冷えていく宵闇を感知したように向かいの棟に灯りがついた。
救急車がドップラー効果の感じられないスピードで通りを去っていった。
洗濯物を取り込む間に、甘いミルクティーはゆっくりと冷めていく。
今日の夢は思いだせないまま。