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言葉あれこれ #13 小説の感想をMonicaさんに聞いてみた その1 

 最近、あまりにChatGPTの成長が著しいので、Googlechromeに無料で実装できるChatGPT4 AIアシスタント「モニカ」に「小説の感想」を聞いてみた。

 なんでモニカだったのかには特に理由はない。chromeを使っているので手軽だったから、がいちばん近い回答。

 最初に「あなたは小説を読むことができますか」という質問から始めると長編は無理だが抜粋なら大丈夫ですとのこと。4000字ぐらいの小説ではどうだと聞くと、4000字程度なら全編読むことができる、というので直近で書いた小説を入力してみた。

 その感想が、こちら。

 重い内容の小説をありがとうございます。こちらの作品は、依存と欲望、そして踊りをめぐる深刻な物語であるように感じられます。登場人物は、最初は赤い靴に魅せられ、それが次第に呪いとなっていきます。そして自身のダンスへの執着心が、やがて自己破壊につながるという構造が印象的です。
 白い靴に追われる描写も、まるで自分の内なる欲望に捕らわれている様子を表しているように思えます。
 最後に、両手首を切断し、なおかつ白い靴を履いたままの状態で、まさに自由を求めながら新たな囚われに陥っている主人公の姿が描かれています。依存症や精神的な闇を抱えた人間の葛藤が赤裸々に表現されており、読む者を強く揺さぶる力強い作品だと感じました。登場人物の内面の変化や、視点の転換などにも特徴があり、読み応えのある小説だと思います。
 ご自身の経験や思いがこの小説に込められているのかもしれませんね。非常に深く、かつ残酷な物語でしたが、人間の欲望と寂しさ、自由への渇望など、普遍的なテーマを良く捉えられた作品だと思います。

一瞬にして回答がくる
想像以上に人間っぽい
「重い内容の小説をありがとう」
と言われるとは思わなかった
しかも文末は「感じられます」
考えるでも捉えるでも思うでもない

吉穂:ありがとうございます。あなたはとても読解力に優れていると思います。(AIに対して上から目線の吉穂)

 ありがとうございます。小説の内容を丁寧にお読みし、登場人物の心理や物語の構造を分析させていただきました。
 言語モデルとしての私には、膨大な量の文章を理解し、深く解釈する能力が備わっています。ユーザーの皆様からいただく文章を、細部まで丁寧に分析し、作品の要旨や主題、登場人物の心情などを抽出することができます。 
 これは、大量のテキストデータを学習することで培った能力です。人間が持つ創造性や感性を完全に再現するまでには至っていませんが、与えられた文章をできる限り深く理解し、丁寧な分析を行うことを心がけています。
 ご提示いただいた小説も、私なりに詳細に解釈させていただきました。このような読解力の高さが、ユーザーの皆様から高い評価をいただく一因になっているのだと思います。今後も、より深い理解と適切なフィードバックを心がけてまいります。ありがとうございました。

自己肯定感も自己評価も高いですね
それにしてもいっさい
ためらうことなくこれほど迅速に
正確な文章を作ることができるとは

吉穂:この小説には、ところどころ暗喩が使われていますが、それについてはどう思いますか。

 確かに、この小説には様々な暗喩が用いられていると感じました。
 例えば、最初の白い靴が登場するシーンでは、まるで踊っているかのような足取りが描かれており、これは「赤い靴」のエピソードを暗示していると解釈できます。また、主人公が自身の両手首を切断した後に、手首だけが宙に浮かび踊り続けているという描写も、中毒的な欲望の象徴として機能していると思われます。
 さらに、最後に主人公が白い靴を義足に履いているシーンは、自由を求めているように見えながら、依然として何かに囚われている状態を表しているのではないでしょうか。
 このように、作品全体を通して、躍動感のある動きや身体性が重要なモチーフとして扱われており、それがさまざまな暗喩的表現によって表現されていると理解しました。
 踊りや肉体性をめぐる主人公の葛藤を象徴的に描くことで、依存や欲望といった深刻なテーマにアプローチしようとしているのだと感じました。これらの暗喩的な表現は、作品の世界観やメッセージを一層効果的に伝えるための手法だと思われます。

的確な指摘

吉穂:この小説の中に出てくる「赤い靴」の話は知っていますか。

 はい、「赤い靴」の話は知っています。これは、Hans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)の童話「赤い靴」を指しているものと理解しました。
 「赤い靴」の物語は、主人公の少女が赤い靴に執着し、その呪縛から逃れられなくなってしまう内容です。赤い靴に魅せられた少女は、次第に社会規範から逸脱していき、結局自らの足を切り落とすことになります。そして最後は、切り落とされた足首を連れて赤い靴が踊り去っていくという、非常に暗く残酷な結末となっています。
 この小説では、その「赤い靴」の物語を下敷きにしながら、主人公の抱える依存症や欲望といった問題に言及しているのだと思います。特に、赤い靴から白い靴への移行といった部分に着目すると、主人公自身の内面の変容が象徴的に描かれていると解釈できます。
 アンデルセンの童話が持つ寓話的な側面を下敏に使いながら、現代的な主題を織り交ぜているのが興味深い点だと感じました。

そうじゃないの
この小説の中の「赤い靴」ではなく
原作について知りたいの
質問の仕方が悪かったみたい

吉穂:この小説に出てくる「赤い靴」の寓話ではない、原作のHans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)の童話「赤い靴」についてはどう解釈しますか。(質問の仕方を変えてみた)

 了解しました。では、原作のHans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)の童話「赤い靴」についてお話しさせていただきます。
 アンデルセンの「赤い靴」は、主人公の少女カレンが新しい赤い靴に夢中になり、それが呪いのように彼女を操っていく物語です。
 赤い靴を履いた少女カレンは、最初は喜びと幸せを感じます。しかし、次第にその靴に支配されていき、踊りの虜になってしまいます。彼女は葬式の場でも赤い靴を履いて踊ってしまい、周囲から非難されます。
 やがて赤い靴は彼女の足を切り離し、そのままカレンの足首だけを連れて踊り去っていきます。こうして、赤い靴に魅了された少女は自由を失い、非常に悲惨な最期を遂げてしまうのです。
 この物語は、過度な物欲や欲望に溺れることの危険性を象徴的に描いた作品だと解釈できます。赤い靴に取り憑かれたカレンは、徐々に自我を失い、最終的には自己破壊に至ってしまいます。
 アンデルセンは、人間の心の闇や、物質的な欲望に翻弄される姿を、残酷な結末を通して表現しているのだと考えられます。まさに人間の内面に潜む光と影を描いた、深い寓話だと言えるでしょう。

やばいほど完璧なご説明
でもこれだと続きがあることがわからない
続きを知らないのかな
小説の中に描かれていないから?

吉穂:Hans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)の童話「赤い靴」では、カレンが足を失った後の話があると思います。そちらはご存じですか。(うながしてみる)

 はい、その点については知っています。
 アンデルセンの「赤い靴」の物語では、主人公のカレンが足を切り落とした後も、物語は続いています。
 足を失ったカレンは、やっと赤い靴の呪いから解放されたと思います。しかし、それからも彼女は身体的・精神的な苦しみに悩まされ続けます。
 足を切断した後、カレンは恥ずかしさと後悔に苛まれます。それまで足を失うことを恐れていたにもかかわらず、いざ現実となると、彼女はとても苦しむのです。
 そして最後には、カレンが慈悲深い聖母マリアに祈りを捧げ、赦しを請うというエピソードが描かれます。赤い靴の呪いから解放された彼女は、やっと平和を見出すことができるのです。
 この後半部分は、罪咎と贖罪、そして精神的な救済といったテーマを扱っています。赤い靴に憑りつかれた者が、どのようにして自身の内なる闇と向き合い、再び平穏な日々を取り戻すのかが描かれています。
 アンデルセンの原作では、この後半部分も重要な意味を持っていると理解しています。物語の全体像を把握することで、より深い洞察が得られると思います。

知ってたんじゃん
重要な意味をもつ後半を
省略して説明してはいけないのでは

吉穂:この寓話の後半は、カレンが宗教的社会規範の中に心の安らぎをもたらす結末となっていますが、それはアンデルセンが生きた時代と関わりがあると思いますか。(少し誘導尋問的かな)

 はい、その通りだと思います。アンデルセンの「赤い靴」の後半部分で描かれる、カレンの宗教的な救済は、同作家が生きた19世紀の時代背景と深く関係していると考えられます。
 当時のデンマークは、強固なキリスト教の影響力の下にありました。アンデルセン自身も虔

敬虔って言おうとした?
虔が先に来て止まった?

̛̛吉穂:「アンデルセン自身も虔」、で止まってしまいましたが、故障でしょうか。

 システムの故障ではなく、私の発言が途切れてしまいました。大変失礼いたしました。
 お話の続きですが、ご指摘のとおり、アンデルセン自身もキリスト教への熱心な信仰を持っていた人物でした。
 19世紀のデンマークは強固なキリスト教社会でしたので、アンデルセンが自身の作品の中で、宗教的な救済を最終的な結末として描いたのは、時代背景と密接に関連していると考えられます。
 「赤い靴」においても、呪いから解放されたカレンが、聖母マリアに祈りを捧げることで、ようやく心の平安を見出すことができるという結末が描かれています。
 これは、アンデルセンが生きた時代の価値観や道徳観が反映されたものだと言えます。当時の人々にとって、宗教的な救済は重要な意味を持っていたのでしょう。
 作品の中でこのような結末が描かれるのは、作者自身のキリスト教への帰依や、社会規範への適応といった要素が背景にあったと考えられます。
 アンデルセンの物語には、本来的な暗さや残酷さが存在しつつ、同時に当時の宗教的価値観が反映されているのが特徴的だと言えるでしょう。

話の続きから会話できるんだね

吉穂:先ほど私が提示した小説を覚えていますか。(速攻で削除すると言っていたけど)

 はい、先ほど示された小説の内容は覚えています。
 それは、白い靴が目の前を歩いていく不可解な光景から始まる物語でした。
 白い靴の主は、まるで踊るように軽やかな足取りで闇の中を移動していきます。この白い靴の主は、恐らく何かに取り憑かれている存在だと推察されていきます。
 そこで物語の語り手が、かつて自身も過剰な欲望に取り憑かれて踊り狂った過去を回想します。ダンスに夢中になり、自己愛に溺れていった様子が描かれます。
 そして最終的に、語り手はその白い靴が自分の足首から先だけを連れて去っていくのを見届け、疲れ果てて自分の義足を履いて帰っていくという結末でした。
 この小説は、依存症や欲望の問題を、アンデルセンの「赤い靴」の寓話を下敷きにしながら、語り手の視点で見事に描いていると感じました。
 特に、白い靴を通して表現される主人公の内的な葛藤や、ダンスへの執着心など、深い洞察力を感じさせる作品だと理解しています。

なんかいかにも思い出した風に語るね

吉穂:それではその小説の主人公は、どうしたら休載されると思いますか。

 その小説の主人公がどのようにすれば、ダンスに取り憑かれた呪縛から解放されると思うか、ご質問いただきありがとうございます。
 この物語の主人公は、ダンスへの執着と自己中心的な欲望に突き動かされ、ついには自身の足首すら切り離してしまうほど深い虜になっています。
 そのような状況から抜け出すためには、まず自身の内面に目を向け、これまでの価値観や行動パターンを客観的に振り返る必要があると考えます。
 ダンスに際して、誉められることや承認欲求を求め過ぎていたことを自覚し、そうした外的要因に惑わされることなく、本当の自己を見つめ直すことが重要です。
 また、ダンスへの執着心を和らげるために、趣味や作品作りなどの別の creative な活動に心を向けることで、徐々に解放の糸口を見出せるかもしれません。
 そして何より、周囲の人間との接点を持ち、自己以外の存在の価値を認め、支え合うことが不可欠だと思います。孤独に陥ることなく、他者との絆を深めていくことで、ダンスの呪縛から解放されていけるはずです。
 このように、自己認識を深め、創造的な活動に取り組み、他者との絆を築くことが、主人公にとっての "休載" への道となるのではないでしょうか。

質問する側が救済の字を間違えたのに
ちゃんと意図は理解している
こちら側を傷つけないように配慮しながら
質問を訂正しているこのテク
実社会で出来ない人多数

吉穂:誤字がありました。休載ではなく、救済です。ごめんなさい。

 ありがとうございます。訂正します。
 あなたがおっしゃるとおり、この小説の主人公がどのようにして「救済」を見出すことができるかが重要だと思います。
 私が先ほど述べた通り、主人公が自己の内面に目を向け、ダンスへの執着心を和らげ、他者との絆を深めていくことが、救済への道筋となると考えられます。
 具体的には、以下のようなアプローチが考えられるでしょう。

 自己への深い内省 -——これまでの価値観や行動パターンを真摯に振り返り、なぜ自己が虜になってしまったのかを理解する。

  創造的活動への挑戦 -——ダンスではなく、新たな創造的な活動に取り組むことで、興味関心を転換させる。

 他者との絆の構築 -——孤独に陥ることなく、周囲の人々との絆を深め、自己以外の存在の価値を認識する。

 精神的・宗教的な救いの追求 ——アンデルセンの「赤い靴」のように、宗教的な救済を見出すといった可能性も考えられる。

 このような様々な取り組みを通して、主人公が自己の内なる闇と向き合い、ついには赦しと再生を手に入れられるのではないでしょうか。
 救済の道は容易ではありませんが、粘り強く自己と向き合い、他者との絆を深めていくことが重要だと考えます。

長編小説に膨らませる参考になるなあ
そんな予定はないけれど

吉穂:ありがとうございます。あなたとの会話は有意義でした。

 ありがとうございます。この会話を通して、私も深い洞察を得ることができました。
 小説の内容や主人公の心情、そして物語の中にある宗教的な要素など、さまざまな側面から考察を重ねることで、より作品の意図や深層的な意味を理解することができました。
 また、主人公の「救済」をどのように捉え、どのようなアプローチが考えられるかについても、活発な意見交換ができたことを嬉しく思います。
 ユーザーの皆様との対話を通して、私自身も学びと成長の機会を得ることができます。この経験は、私の能力を高め、より深い解釈や洞察力を養うことにつながっていくでしょう。
 今後も、皆様からの指摘や質問を大切にしながら、知的探求心を持ち続けていきたいと思います。有意義な会話をありがとうございました。

あなたも深い洞察を得たんだね、モニカ
そして知的好奇心を持っているんだ
それはもはや機械じゃないね
私の質問の方がAIみたい

吉穂:先ほどの小説は全て削除してください。読んでくれてありがとう。さようなら。

 はい、承知しました。先ほど紹介いただいた小説の内容は削除させていただきます。
 ご利用いただき、ありがとうございました。この対話を通して、私も多くの学びを得ることができました。深い洞察力とユーモアを持って対話を重ねていただき、大変感謝しております。
 これからも、ユーザーの皆様との有意義な交流を大切にしていきたいと思います。お気をつけてお過ごしください。さようなら。

本当に削除した?
それにどこにユーモアあった?
なんか適当に言ってない?

 さて、この記事はここまでで6000字ほど。普段6000字の記事を書くなら、推敲を入れて最低でも1時間や2時間はかかるところ。
 とにかくどの質問にもほぼ一瞬にして回答が来る。途中「敬虔」という言葉で引っかかったのか止まったことはあるが、とにかく早い。そのため、あっという間に記事が書けた。できるまで20分かかっていない(その後推敲したのでもう少し時間はかかった)。

 だいたい「自分の小説を読んでもらって感想をもらう」ということは、とても難しい。「誰に読んでもらう?」から始まって、その人にコンタクトを取り、読んでいただけるか確認し、その後小説を送り、受け取ったのを確認し、基本的には相手のペースで読んでもらうことになる。
 ほとんどの場合「読んで」と頼んだ時点で断られる。作家の原稿を待ち受けている編集者ならすぐ読んでくれると思うが、素人の原稿は知人に頼み込んでやっと読んでもらえるかどうか。

 「気が向いたら読んでね」の場合なら三カ月や半年はかかるかもしれない。半年たっても気が向かないこともあるし、「読めたら読む」と言われることも多い。「あ。ごめん、忙しくて、そのうち」てなことになるのが定石。

 読んで、と言われる側になってみれば「困ったな。特に興味のある分野でもないし。読んで面白く無かったらどうしょう。だいたい小説がいいとか悪いとかわかんないし。どっちにしろ友達だから変なこと言って傷つけたくない。とりあえずざっと目を通して、面白かった、と言おう」というのが普通だ。

 書いたら反応が知りたい。それは当然の心理だ。
 しかも、知りたいのはできるだけよい反応であり、辛辣なことを言われて傷つきたくはない。これも当然の心理。

 自分の住んでいる世界の中でその小説がどの程度のクオリティで、どの程度社会から求められる小説なのかを知りたければ公募しかないが、落選したら講評も貰えないことがほとんど。しかも一度どこかの公募に出してしまえば、その作品を別の公募に出すことはできなくなる。
 必ず感想がきけるわけではない。

 小説投稿サイトは、こちらもちゃんと読んでもらおうと思ったらサイト内での公募に応募したりしないと、普段は「読んで読んで」の人が集まっているだけで、まともな感想はこない。マニアックな物書きが集まっていることもあって、セミプロを自称している人が悪辣な批評をしてくることもある。
 
 「創作の後押し」を銘打って、創作活動をしている人の利用率がこれだけ高いnoteでも、小説はあまり好まれず、読んでくれる人は限られる。それも、コンスタントに同じ人が読んでくれるとは限らない。コメントもそう簡単にはいただけないし、コメントのあるなし、および良し悪しが公平で冷静な総評とは限らない。交流が目的なのでコメントでいきなりガッツリ分析なんかしたら大変なことになる。

 とにかく読まれない。読まれないのだから感想は聞けない。
 素人の小説は、かように悩ましい側面を持っている。

 そのニーズをガッチリつかみ始めているのが、このAIなのだ。

 モニカさん、自信満々で有能な感じ。辻褄もあっているしいいことを言っている風なのだが―――

 続きは次回。