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初詣

 怪しげな眼鏡は紫外線に反応して色づいている。眩しいのが多少なりとも軽減されているのかどうか。眼鏡を買い替える時に、なんとなく目が守られればいいかと調光グラスにしたが、洗濯物を干すためにベランダに出ただけで渡哲也になる。渡哲也と言っても今の人は知らないであろう。せめて舘ひろしにしておこうか。まだ知らんか。サングラスの人と言えば今は誰ならピンと来るのか。とりあえず鈴木雅之にしておこう。ベランダに出て、洗面室に戻ると鏡にマーチンが映っていて驚く。
 年末年始はずっと晴れが続く関東地方。空が水彩のベタ塗りの水色で、透明な光が意外とギラギラしている。家族が年始に体調不良だったこともあり、洗濯ばかりしている。シーツを洗うのは気軽ではない、少なくとも私にとっては。
 洋画、特にアメリカ映画にはよく、こんな場面がある。庭先にシーツを干している妻。夫が帰宅してシーツごと妻を抱きしめる。足元にまとわりつく子供達と犬。まるで幸せの象徴であるかのようなシーツ干しシーン。
 妻は、たらいでシーツを洗ったに違いない。重たい木綿のスカートをたくし上げ、盥で足踏みしたり、洗濯板に擦り付けたりして、木綿や麻のシーツを洗う。想像を絶する重労働だ。石鹸だってろくに無い時代。それを絞って絞ってやっと干したのに、夫め。そんな妻もいたのではないか。
 過去の人類よありがとう。あなたがたのご苦労があって今がある。私は彼らより未来人なので、洗濯機で洗ってピンチに吊り干しをする。雨の日はなんだったら乾燥まで可能である。にも関わらずシーツを洗うのは気重な作業だ。
 そのようなことを考えながらシーツを干した後、初詣に行った。鶴岡八幡宮である。先に述べたように年始から我が家はどうも調子が狂っているので、リセットするにはやはり詣でるしかないだろうと思ったのである。
 松の内ではないがまだ正月の内と勝手に決め若宮大通の段葛だんかずらを八幡宮に向かう。南からの風のようだが冷たく、大通りには横から吹き付けていた。髪が運命のようにもつれ乱れる。頼朝が政子のために作った若宮大通。段葛を通るといつも、政子が最初にここを通り、彼女が産んだ子供は全員政子より先に死んだことを思う。政子は強い女性と習ったが、政子ほどひどい目にあった女性もいないかもしれない。
 最初の鳥居に到着すると、思いのほか人が参道に溢れていた。静御前が悲しみの舞を舞った舞殿まいでんの隣で係の人に止められ「通りますのでご協力を」と言われた。何が通るのだろうと思っていたら、本殿からかっぽかっぽと木靴の音がして、装束の男性が数名、実朝が暗殺された階段を降りて来た。かっぽかっぽ。よくぞ隊列を崩すことなくあの階段をかっぽと降りられるものだと感心して眺め、近くを通ったので写真を撮った。十五日の祭事があるのであった。
 その後人の流れに乗って本殿にお参りする。お札を買おうとしたらここでも長蛇の列で「五番窓口へどうぞ」と銀行のようだ。お札を買ってお社に初穂料を納めるのだからまあ銀行といっても差支えないかもしれない。後ろに並んだ夫婦の妻のほうが、夫に繰り言を言うのが聞こえた。あなた、お札が千円なんて嘘ばかり、いつも買っているお札は二千円するじゃないの、いやだってそこに書いてあるだろう、あれは別のお札なの、いつも買っているのがなにかわからないの、本当に適当なんだから。わかる。つい、言いがち。だがこんなふうに、前に並んだマーチンに聞かれてしまう。夫や息子と列に並んだときは気をつけよう、と思った。
 おふだを買い求め、昨年のお札を納め、茅の輪くぐりをして例年のごとく白旗神社へ向かう。白旗神社は源氏が平家打倒を誓った神社である。勝負事と芸事、学業の神である弁才天様が祀られている。吉祥寺の弁才天様は若干やきもち妬きのようだが、こちらの弁才天様は頼朝と政子を結んだという縁結びの神様である。
 熱心に祈る。家族の安全と健康、息子の学業と学問への縁を祈る。
 かつて頼朝と政子が平家打倒を祈願した白旗の間を、白い鳩が、てつてつと歩いていた。その奥には政子が平家に死を、と四つ島を作ったという池が見える。鎌倉は各所で想起されるエピソードがなかなかに激しい。
 帰り道、もしかしたらクルミっ子が買えるかもしれない、と思い立ち、若宮大通沿いの店舗へ向かう。開店して一時間、すでに売り切れが出ていた。残っていた五個入りを購入して、店を出る。なにか達成感を感じながら、大通りを海のほうへ向かって歩いていく。
 帰宅して、神棚にお札を祀った。
 シーツは折からの風で乾いていた。

#日記のような雑記
#今日は鳩サブレーは買ってない