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この広い世界で、あなたに逢えた幸せ

 サトちゃん
 
 十二月になるのを待っていたかのように、こちらも気温ががくんと下がり、寒くなりました。
 この夏はあんなに暑い日が続き、夏が終わらないんじゃないか、冬は来ないんじゃないかと思っていましたが、季節は確実に廻りくるようです。
 毎年、関東地方の冬は空気の乾燥がシビアで、この季節は唇や手に強いストレスがかかります。年々状況が悪化する自分の肌を鏡で見るたび悲しくなりますが、細やかなメンテナンスが苦手な私は、きっとこのまま、しわしわの、ごわごわの、ひびわれの、しみしみの、肌になっていくのでありましょう。でもどんな大年寄りになっても、サトちゃんと一緒にいるだろうなあ。

 十二月、というお題なんです。今週の「シロクマ」さん。それで「じゅうにがつ」と白い画面に打ってみました。そうしたら急に、noteの他の企画を思い出して、サトちゃんに手紙を書きたくなりました。
 おだんごさんの「#贈りnote」という企画です。大切なたったひとりに向けてnoteを書く、という企画。もう、企画じたいは終わっているけれど、ハッシュタグは使っていいそうです。

 大切なたったひとりは、今、心の中に、サトちゃん。

 そちらは、雪でしょうか。
 私たちの故郷は、今朝は雪だったようです。
 
 このところのメッセージに、胸を痛めています。
 次々と困難が起こり、その都度「いったんの無事」を確かめて胸をなでおろしてきましたが、今、さらにサトちゃんが向き合っていることには、言葉にならない思いを感じています。
 私は、サトちゃんが、気丈に振舞っていても心の中でうわーってなること、知ってるからさ。「いつも小さいみらっちが肩に乗ってると思ってる」って言ってくれたけど、実際、何もできなくて。
 何も言えない。何もできない。ただ友達でいることしかできない。
 こんなとき、言葉はなんて弱いんだろう、と思う。

 ひたすら爆走していたようなこの3年、ずっと並走してくれたサトちゃん。ペガサスだからね。並走というよりは、ふんふん♪と鼻歌混じりに飛びながら、ずっとそばにいてくれた気がします。
 サトちゃんの励まし方は独特。私が「もうこれ以上は大変だから、電子書籍だけでいいかな」とぼんやり思っていると察知したようにすかさず「紙で読みたい」というメッセージが飛んできます。「吉穂みらいのサインが欲しい」「文庫本を全巻揃えて並べる棚を作った」「紙の本いつできるかな。楽しみ」とか、いつもホメ系のからめ手で来るよね。笑
 その都度私は、「えええっ」「もうこれ以上しなくていいと思ってたんだけど」なんていいながら、結局はやる羽目になっちゃう。そして心の中ではちょっと嬉しい。楽しみ、と言ってくれることも、私のすることを肯定してくれるということも、できると信じてくれていることも。
 落ち込んだときも、もう嫌になっちゃったって言う時も、困ったなと言う時も、ずっと、励まし続けてくれたよね。そうじゃなきゃ、ここまでできなかったよ。

 今私、何ができるんだろう。
 肩の上のみらっちは、何かできてる?
 
 人を励ましたり、勇気づけたり、支えたい、と思う時に、言葉は強すぎる、と思うことがあります。
 頑張ってとか、大丈夫、とか、スタンプにもいくらもそういう言葉があるけれど、どんなにいい言葉でも――いい言葉だと思って発したとしても、受け取る側の状況によっては、傷ついてしまうことだって。

 だから怖気づいて、つい、こんな風に思います。
 〝言葉は怖い。せめて絵が描けたら。歌を歌えたら。楽器を演奏出来たら〟
 それでもいつかサトちゃんがくれたメッセージは、確実に私の心に届いてました。

この広い世界で、あなたに逢えた幸せ

 こんな風に誰かを励ますことができるサトちゃんはやっぱりすごい。
 だから私も、思い直して、言葉を、手紙を送るね。
 陳腐で、ありふれた言葉だけれど。

どんなときも、心はいつもそばにいるよ

 私とサトちゃんの夢は、年を取ったらどこかの縁側で日向ぼっこをしながら、のんびりと語り合うこと。
 お茶と、お座布団。今作ってる本も、傍らに置こうか。
 見上げれば、青い空と、雲。
 

 楽しみだね。その日はきっと、来ると思う。
 だからいまは、いまは。

 みらっちことみらいより

#シロクマ文芸部
#贈りnote

 
 

 



 

 

 

 

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