![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/137489762/rectangle_large_type_2_bb3a787c9756d1ca5a60644a53ebcdf2.png?width=1200)
ひとひら #シロクマ文芸部
花吹雪の中、前をいく小さな背中を追いかける夢を見た。
川沿いの沿道には桜並木が広がり、覆いかぶさるほどの枝に咲いた花は月半ばになると一斉に散り始める。桜のアーチの下は、花びらが舞い落ちたり巻き上げられたりして、まるで異世界の入り口のようだ。
夢で、その道を散歩していた。
短い赤茶の体毛は艶が良く、赤いリードが良く似合っている。
爪が伸びてきたのか、リズミカルな足取りが、ちち、ちちと軽い音を立てる。散歩好きな彼は先立って私を導くように歩き、あちこちでにおいをかぎ「ねえ。遅いよ。もう。置いてっちゃうよ。早く、早く」と言うように、時々振り返った。
楽しいな。春の匂い。
振り返った彼の目は、そんな感じ。
ひらり。
花びらが舞い落ちてひとひら、彼の背に乗った。
そんな、夢。
たったそれだけの夢なのに、胸が締め付けられた。
生前は、散歩が面倒だった。悪い飼い主だった。あんなに、散歩が好きだったのに。外の景色が大好きで、さんぽ、という響きを聞くだけで飛び跳ねて喜んでいたのに。
ごめんね。ごめんね。
彼を思い出すときはいつも、激しい後悔に苛まれた。
ごめんね。ごめんね。
私に飼われてごめんね。
もっとちゃんとした飼い主さんに飼われていたら、もっと長生きできたかもしれないのに。遠くに連れて行って、ごめんね。こんな桜の道が好きだったのに、好きなだけ地面の匂いをかがせてあげられなくて、ごめんね。
彼を亡くしてから、心の欠片がどこかへ行ってしまって戻ってこないような気がした。彼と一緒にどこかに行った、というのではない。彼はひとり旅立ち、私の欠片がいる場所は荒涼として、ぽっかりと何もなく、私は「信じる」とか「信頼する」という気持ちを持てなくなってしまった。それは外側に対してだけではなく、自分への信頼、自分を信じる気持ちをも失ったことを意味していた。単に自信が無くなった、という以上に、生きることへの信頼が揺らいでしまったのだ。希死念慮ではない。不思議なことに極端に死を恐れていた。でも消えたかった。消えたほうがいい存在なのだと思った。相反する気持ちが共存するのは奇妙だがこればかりは、やはり病に根差している部分があったのかもしれない。
そうはいっても、幼い子の世話をしなければならないし、外見には、私は何事もないような顔をして、平然と暮らしていた。日常は容赦なく私を明日に運んでいく。もともと少し不安定だったメンタルは既に限界だったけれど、私はそれがなんだっていうんだという顔をしていた。
ただ、思い出すのが怖かった。
彼を思い出すと、どす黒い後悔と罪悪感が内奥から沸き起こった。昏い湖や沼のように心を侵食し、縁から溢れ、足元から呑み込まれていくような気がした。彼を殺してしまったのは自分だという思い、彼に生きる喜びを味合わせてあげられなかったという思いに、押しつぶされそうになった。
彼が亡くなって3年後、ある人に言われた。
思い出すときに、後悔しないであげて。彼はあなたが苦しんで悲しみ続けることを望んでいないよ。思い出すときは、後悔じゃなくて、感謝にして。後悔や悲しみはただ彼を縛り付けてしまうだけだよ、彼が本当に安心できるように、ありがとうと言ってね。彼は幸せだったんだよ。
今でも、その言葉を思い出すと泣いてしまう。
それでもだいぶ長い間、彼が幸せであったはずがないと思い続けた。私なんかに飼われたせいで、酷い目に遭ったという気持ちから抜け出すことができなかった。
でもある日、死んでからまでネガティブな気持ちをぶつけられる彼のことに思い至っていなかったことに気づいた。
自分が死んだあと、私の好きな人が激しく後悔し続けて、私のことを笑顔で思い出せなかったら、私のことを思い出すことすら辛いとしたら、それは双方にとってあまりに残酷だと思った。そしてきっと彼は、私に、自分のことを笑顔で思い出してほしいと思っている、と気づいた。
だって優しい子だった。
それでも泣くのだ。思い出せばやっぱり泣くし、罪悪感だって消えることはない。でもやっぱり、彼の「いま」の幸せを願うなら、私が笑顔でいるしかない。
ごめんね。ありがとう。
ごめんね。ありがとう。
沢山のことを教えてくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
私にその言葉をくれたひととは、その後友達になった。彼はわたしに、大切な友達も連れてきてくれた。なんて深い愛。私は、愛されていたんだね。
大好きな、きみに。
いつか会える日を待っている。
それまで、笑顔でいるよ。
その日笑顔で会えるように。
生涯傷は癒ねど、春の終わり。
風に煽られた桜の花びらを見ると、あの日彼の背にちょこんと乗った、あのひとひらを思い出す。
了
※愛犬の夢をみて、目が覚めると切ないです。
※レギュラーメンバーなので月初めにお題をいただいております。
※今年の桜は遅くて、そしてすぐに散ってしまいましたね。