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種を飛ばす日 #シロクマ文芸部

 星が降るという重大発表に人々は恐れ慄いた。遠くに流星群を眺めるくらいなら綺麗で済むが、実際に頭上に落ちてくるだとか、大小降り注いで地球潰滅となれば話は別だ。
「どうにもなんないよ」
 ああどうしよう、どうしたらいいんだとうろたえる僕に妻の佳弥かやちゃんが言った。
「地球に隕石が降る、止められません、って言われて、何かできることある?」
 いくぶん不貞腐れた口調で佳弥ちゃんは言ったが、僕よりもはるかに冷静だった。
「わからないよ。今日も明日も明後日も、同じような日がずっと続くと思ってたんだから」
 僕が言うと、そうよ私もそう思ってたと彼女は頷いた。
「なんとかなることならなんとかしたいけど、どうにもならないんでしょ?自分だけ死ぬのと、人類が全滅するのと、たいして変わりはないじゃない。地球にとってはいいことなのかも」
「暢気だなあ!」
 僕は呆れた。常々冷静な人だと思っていたが、むしろ冷酷に思えて来た。
「しょうがないじゃない。それより麦ちゃんの保育園だけど」
「保育園とかもう関係なくない?」
「何言ってんの!一刻を争うの。エントリーだけはしておかないと、もし隕石話がデマだったら大変なことになるんだから」
 佳弥ちゃんはもうすぐ三歳になる娘の麦ちゃんの髪を撫で、それから僕をキッと睨み据えるようにしてそう言った。
「デマだったらいいけどさ……じゃあ、デマだと思ってるんだね?」
「そういうわけじゃない。もしもの話」
「昨日まで隕石落ちる方がもしもの話だったんだけどなあ。ていうか、保育園なんて今やってるの?」
「今日は学校もコンビニもスーパーも区役所もやってるよ。電車も動いているし、飛行機も飛んでる。どこの会社だって通常営業。私もバートに行くよ。休みになったのなんて竜司りゅうじくんの会社くらいだよ」
 言葉の端に少し僕を揶揄するような気配を感じ、理不尽を感じた。会社が当面休業すると決めたのだ。僕に罪はない。誰にも罪などない。

 先日各国首脳と国連から隕石落下が発表になったにもかかわらず、世の中には不気味なほど変化がなかった。落下の速度と規模から言って、地球が無くなる可能性が高い、という。良くて地球は残るが地球上の生命は死滅する、という話だ。感染症パンデミックや南海トラフどころの話ではない。しかもそれは、あと十日以内に起るらしい。
 突然の『ノストラダムスの大予言』レベルの警報に、人々は、パニックを通り越して茫然とした。あまりのことに正常性バイアスや確証バイアスが働いたのか、「発表はなんらかの陰謀によるデマに違いない。確実な話ならばもっと早くわかっていたはず」「システムの誤作動によるフェイクニュースが拡散している。各国首脳や国連総長の画像をAIが加工している」という「#隕石落下」情報がSNSを駆け巡った。二、三日、人々は玉石混交の情報の中から自分に都合のいい情報だけを拾い集め、フィルターバブルの中に沈溺した。しかし、国によってはトップの退陣や暴動が起こり、そのうちに皆、本当のことなんだと思うようになった。

 シェルターのある国はシェルターに逃げるというが、地球が自転している間は隕石が落ち続けるというのだから、シェルターが役に立つとはあまり思えない。なんとか流星群の軌道を逸らせないかと、各国の軍隊が迎撃システムやドローンを飛ばす計画を立てているようだが、その実は逃げる算段をしているらしく、「鉄仮面」の名で知られたリーダーが率いる民間の宇宙開発会社には問い合わせが殺到していて、Xで「私はコロニーは持ってない」と否定する事態をひき起こしていた。アルテミス計画もまだ実行前、アニメのようなコロニーを建設しているわけでもないから、どのみちロケットに乗ったところで流星群に巻き込まれる可能性の方が高いわけで、もはや座して死を待つのみ、というのが本当のところだった。
 日本政府は「日本はいつ地震が来てもおかしくない国に住んでいて防災教育も徹底している。これまで経験したことのない災害だが、どうなるかは起こってみないとわからない。もしかしたら軌道が逸れて何事もないかもしれない」と妙に肝っ玉の太いところを発揮し、すべてを先送りにする政策を発表した。
 しかしいっぽうでは「せめて種やDNA情報を持つ杯や卵を宇宙に飛ばそう」と世界中の民間のロケット開発会社同士が結託して、各国でそれぞれ持っている技術を駆使して種を飛ばすことになった。その中には金持ちの誰かのものであろう人間の受精卵も含まれているという話だったが、やはり流星群に巻き込まれて爆発する可能性の方が高いと言われている。たとえ爆発を逃れても、結果的に宇宙を漂うデブリになるのは疑いなく、それがその後どうなるかは、誰にも想像できないことだった。それでも一縷の望みを託して、準備が出来次第、打ち上げるという。

 実際のところ、個々人や企業の受け止め方はそれぞれだった。会社も自治体も対応はまちまちで、会社も営業したり休みになったり、買い占めに走ったり家に閉じこもったり、どうせなら多くの人と一緒にいたい、と集会所や避難所が開設されたりして混乱してはいる。
 遠方にいる家族や恋人に連絡を取ろうとするためネット環境や通信網は乱れており、あらゆる交通手段を使って相手のもとに行こうとしているとネットニュースでやっていた。家族よりも恋人と最期を迎えたくて、家族と口論になった男女が家族から殺傷されたり、逆に家族に危害を加えたり、ストーカーが心中を図ろうとしたり、毒親を殺害しようとするといった、理由はともかく家族や身近な人間関係がらみのニュースが多いことには驚いた。が、それも今朝ほどからネットニュースじたいがあまり更新されなくなった。それに代わるように、テレビ画面にはどこの局でも刻々と変化する「流星群の軌道予想図」だけが映し出され、さきほどからは各宗教団体が拡声器を使って宗派ごとの祈りを捧げはじめている。マンションの外でお経や祝詞、コーランや、神父や牧師によって「主の言葉」が唱えられているのが途切れなく聞こえ、いろいろなところから、それに唱和する声も聞かれた。

 僕の会社は休みになった。自主的に休みにする人ももちろんいた。いまさら働いていられるか、という人も多かったが、仕事を全うしたいという人も多かった。佳弥ちゃんの働くスーパーは営業している。佳弥ちゃんは最近やっと、昼間のごく短時間だけパートとして復帰したばかりだった。保育園がみつからないので、近くに住む僕の両親に麦ちゃんを預けての仕事復帰だった。
 せっかくだから美味いものを食べて死にたい、ということなのか、スーパーには長蛇の列、卸さえ動いていたら営業すると発表した料理店には予約が殺到したらしい。
 まあもはや、することと言ったらそれしかないな、と僕も思う。
 こういう人生は予想していなかったなと思う。隕石落下が今日かもしれないのに、パートに行こうとしたり、麦ちゃんの保育園のことを心配する妻が愛しくなり、僕は麦ちゃんごと佳弥ちゃんを抱きしめた。
 彼女にはさっき、職場から応援要請のメールが来ていた。佳弥ちゃんの働くスーパーは個人経営に近く、大手ではないので、オーナーである店長の意思ひとつらしい。店長のメールには「卸が動く限り、私は仕事を全うしたいと思っています。みなさんは、家族と来ても良し、家族と家にいるのもよし。皆さんの意志を尊重します。残念ながらお給料はどうなるかわかりませんが、当面、定額の日払いにします。みなさんが来ることができなくても、私が家族と一緒に売れるものを売ります」と立派な決意が記載してあった。
「やっぱり最後は家族一緒にいたいよ。パートに行くのはやめてよ」
「私だって私だって」
 腕の中で佳弥ちゃんは泣きじゃくり、麦ちゃんは仔猫みたいに「うにゃあん」と言いながらぎゅうぎゅう抱きしめられて嫌がって逃れようと手足をばたつかせた。
 麦ちゃん、せっかく生まれて来たのに。佳弥ちゃんが命がけで産んだのに。なんでこんなことになってしまったんだろう。どうせなら「種」を飛ばすときに、麦ちゃんも一緒に載せて欲しいと思ったが、家族離れ離れになるのもやっぱり嫌で、それはエゴなのかもしれないと思ったりした。

 翌日、祈りの声はますます高まり、その一方で「種を飛ばすロケットを見守ろう」とする動きが高まった。放映をやめた局も多かったが、放映している局は、流星群の予想軌道と、種を飛ばすロケットの準備映像を代わる代わる映し出した。
 流星群は科学者が想定していたスピードより動きが早いらしく、ロケット発射の準備はまるで実録のプロジェクトXのようになっていて、世界中の人々が各国でそれぞれ、その様子を見守った。
 種を載せたロケットは絶望のなかの希望の光。それは福音であり祝福だった。テレビとネットを通じて、人々の熱気が伝わってくる。
 僕と佳弥ちゃんと麦ちゃんは、新鮮なうちに良い肉を食べてしまおうと、すき焼きを囲みながらその様子を見守った。かろうじてまだライフラインは動いていた。誰かが働いているのだ。しかしいつ、電気やガスや水が止まるかわからないし、止まる前に、隕石が降るかもしれない。
「これで流星群の軌道が外れても、いいもの見たよね」
 僕が言うと、佳弥ちゃんは泣き疲れたような顔でうん、と言った。あらゆる情報を搔き集めての結論として、どう考えても軌道を逸れることはないだろう。
「種を残したいって本能があるんだね、人間には」
「麦ちゃんが残らないなら無意味」
 佳弥ちゃんはぽつりと言った。
「それが全母親の本音だと思う。今更だけど、人間同士で争ったり、戦争なんてしてる場合じゃなかったよね。今までの何もかもが、無駄無駄無駄無駄」
 アニメのキャラクターのセリフを棒読みにしたみたいに、佳弥ちゃんが言った。
「そんなことないよ。僕らがいたことは無駄じゃないよ。僕は佳弥ちゃんと麦ちゃんに会えて、最後に一緒に居られてよかった」
 うわぁん、と佳弥ちゃんがまた泣いた。
 それを見て、麦ちゃんがびっくりしたように目を見開いた。
「佳弥ちゃんが泣くと、麦ちゃんがびっくりするじゃない。ほら、すき焼き食べようよ。明日からはたぶんレトルトになるからさ」
「そうだね」
 即座に泣き止んで、佳弥ちゃんが箸を取った。昨日から、家族全員、感情の切り替え方がスイッチのオンとオフみたいになっていた。
 佳弥ちゃんは麦ちゃんの小さな器に味の沁みた豆腐をよそい、器用に箸でお肉を小さく小さくちぎった。肉はA5ランクの和牛で、柔らかくて美味しかった。
 美味しいね、と僕が言うと、佳弥ちゃんも麦ちゃんも、美味しいねと言った。そのとき、カウントダウンの声が響き渡った。
 ――じゅう、きゅう、はち、なな……
 もしも遠くの地球に似た星に、このロケットがたどり着いて、またそこで人類が生きられるとしたら、と僕は考えた。
 ――ろく、ご、よん……
 この星で生きていた魂が、その星にたどり着いて、生まれ変わったとしたら。
 ――さん、に、イグニッション。
 また、みんなで会いたい。
 いや、きっと会えるよ。
 一緒に食べるのが、どんぐりでもいいからさ。
 佳弥ちゃんがまた泣きだす前に僕は、佳弥ちゃんが好きな割り下が染み込んでくたくたになったねぎを、そっとよそってあげた。

 書きながら新井素子さんの『ひとめあなたに・・・』を思い出しました。今思えば、スターウォーズのローグ・ワンみたいな終わり方だったなぁ。

 #シロクマ文芸部