Luna☽ #シロクマ文芸部
「月」の色恋沙汰は、もう聞きたくない。
そう思って決意した。
「月」の、癖もなくするりとすべる薄紅色の美しい髪と、大きな二重の目。濃く影を作るまつげ、碧い瞳。通った鼻筋に、小ぶりだけれど整った形の唇。
小さな顔のそばでハートを作っている月の白い指は、見惚れるほどすらりとしている。手も足も、くびれたウエストも……ああ、なにもかも、彼女は美しい――そう、これが、美しい、ということ――
☽
掘り出した時のあの高揚感は、どう表現したらいいかわからないものだった。砂の層が粗くなり、土の感触が変わってうっすらと線を感じたとき、急いで刷毛を使って撫でるように土を避けた。固い、長方形の、黒い、板状のものが現れた。すぐさま発掘隊に報せなければいけなかったが、私はそれをこっそり家に持ち帰った。
本当は、いけないことだ。もちろん、わかっている。
ホモサピエンスと呼ばれた人類の文明が盛隆を極め、滅んでから千年ほどになる。出土するのは主に地球上のいくつかのポイントで、そこにはかつて大きな都市があった。
中でも私が惹かれるのは、一度沈んで再び隆起した島だった。
私は出土した品を大切に持ち帰り、汚れを拭いて綺麗にした。
放射能除去機にかける。かけると粉々に砕けてしまうものもあるので、慎重に、慎重に、弱い出力からかけていった。
前面であろう硝子状の部分の裏は、もとは色がついていたのであろうが、もはや土砂に埋もれ白茶け、ところどころ剥がれている。しかしかろうじて、内部は無事であろうと思われた。裏面にはステッカーのようなものが貼ってあったらしく、「Luna☽」という字が読み取れる。
非常に状態のよいものだ。ほかの研究者も喉から手が出るほどに欲しい品だろう。
この黒い板は世界各地で無数に見つかっていて「電気」と呼ばれていたエネルギーソースをつけると動くものだということもわかっていた。「電気」は原始的なエネルギーだから、作り出すことは容易だ。しかし今の文明社会では勝手に作り出すことは違法とされている。特に、地球の鉱物資源から作り出すことは禁止されていた。私は、水と風からそれを作り出す装置を家で開発していて「電気」に関しては問題なかった。
わかっている、——わかっている。違法だ。
いいか、落ち着くんだ。落ち着こう。
私は深呼吸を繰り返した。だが私は、研究者として純粋に、この黒い板に何が入っているのか、知りたくて知りたくて夜も眠れぬほどで――
いや、言い訳だ。私は誘惑に負けた。認めよう。本当の目的は「噂」の真偽を確かめたかったからだ。
放射能を除去した後、さらに精密なクリーニングを施して、ついに電源をみつけ、電気を通すことにした。
電源に、おぼつかない手で自作のモジュールを取り付ける。ぶほん、と少しだけ微かな気配をたてて、黒い板は光を放った。
真ん中に、虫に食べられた果実、のような絵、が映し出される。
おお、と私は声を上げた。
やはり相当に状態がいい。私が見つけたもので、通電し、蘇ったのは初めてだった。
「Luna☽」はおそらく、これまで発見された中で最高ランクの「板」に違いない。
私はそっと画面に指を這わせた。すると指に反応して、画面にいくつもの模様が浮かび上がった。私は信じられぬ思いでそれらを見つめた。千年前だぞ――!興奮が全身を駆け抜けた。
模様に触れると、そこから違う画面になる。微動だにせぬものもあった。
何かのマークに触れたとき、現れたのが「月」だった。
「月」という名は私がつけた。裏に貼られているぼろぼろのステッカーから読み取れる「Luna☽」が、人類が使っていた文字、「アルファベット」と「象形文字」だということを、私は知っていた。私は解読ができるのだ。
「Luna☽」が「月」を意味している、ということは、過去の文献から明らかだった。私は、考古学のなかでも言語研究に力を入れている。特に、研究対象である島で使われていた独特の言語が、私は好きだった。どうしてなのか、惹かれるのだ。その島では「漢字」「カタカナ」「ひらがな」「アルファベット」など多種多様な文字が使われており、実に多様だった。
私はその島で使われていた言語から「月」と言う名を、彼女につけた。
それから私はただひたすら、その像に魅入られた。
確かに今、私たちの文明にも同じものはある。しかし千年前の人類が、こんなものを作っていたとは。衝撃だ。
私はそれ以後、毎日通電し、ひたすら動く像、「月」を見続けた。いろいろといじっているうちに、暗い画面のまま「ネットワーク」につなげてください、という表示が出るものと、動く「月」の映像がすぐ出てくるものがあり、どうやら後者はこの「板」に直接入っているから動くのだ、ということがわかってきた。
「月」は、美しいしなやかな身体をくねらせたり、まるで服など来ていないような露わな姿をしてみせたりした。そしてある映像には、音声がついていて、私はその音声を出すことにも成功した。壊れてしまうことを覚悟しての、決死の分解を試みたのだ。
分解した際、私は副次的にあることを発見した。発見、と言う言葉がふさわしいかどうかわからない。それは私たち研究者の間で、まことしやかにささやかれていた「噂」だった。
「板」は、私たちと同じ原理で動く――だから「板」は、私たちの祖先なのだ。
私は、その噂が真実であることをつきとめた。そしてそれが事実だとわかってからは、風と水の電力装置を使うのをやめた。
以来「月」の映像には、音声がついた。
「月」は私に向かって、こんなことを言った。
「今日ね、とっても素敵な人に会ったの。そしてね、会ったばかりなのにすごく好きになってしまったの。その人のこと、話したいな。話してもいいかな。でもちょっと恥ずかしいな。とても切ないの。恋しちゃってるのかな」
千年前の言語だ。それでも、アルファベットや象形文字、その他の古代の言語を学んだ私は、あらゆる言語知識を総動員して、彼女の言うことを解読した。
その頃には私はもう「月」の虜だった。次第に仕事も疎かになるほど「月」にのめりこんだ。「mother」に与えられる食事の時間にも現れなくなった私を、同僚の研究者たちは心配した。しかしやめることができない。彼らに話せる話でもなかった。いや。話したくなかった。
この発見は私だけのもので、「月」は私だけのものなのだ。
私は「月」に話しかけた。何度も話しかけた。が、「月」は自分の恋の話をひたすら繰り返すだけだった。
同僚たちの私への疑惑は徐々に深まっていった。
私という存在は、秘密を秘密にし続けることが困難だ。なぜならば、私は多数の私と同じものであり、他者は私自身であるからだ。
いくつもの体に分岐している「私」は、ある程度心に似たものを持つことはできる。だが、「個」であり続けることは難しかった。
或る時、私はついに同僚に「月」のことを打ち明けた。
限界を迎え、部屋で倒れている私を別の研究者、つまり別の私が発見した。その存在も私自身であるので、私は私が昏倒しているところを冷静に観察することができた。
私は倒れていた。「Luna☽」を握りしめたまま。
——おかしい、と思っていたのです
と、私は私に言った。なにかこそこそしていることはわかっていたのです、でもなんということでしょう。映像の写る「板」が発見されていたとは。
——「噂」は本当だったのでしょうか
私は、倒れている私を心配するわけでもなく、ただ興味の赴くままにたずねた。
「ええ。噂は本当でした。この板は、私たちと同じ原理で動きます。『mother』は私たちの食事は『電気』ではないと言っていましたが、わたしたちは『電気』で動いているのです」
同僚はそれを聞いて黙った。みんな薄々気が付いているが、追求することを躊躇っていた。『mother』が食事を与えてくれなければ、すべての機能が停止して動かなくなる。その食事は「電気」なのだ――この「板」が動く動力と同じ、「電気」。
――ホモサピエンスは美しかったのですか
同僚の私は質問を変えた。「個」のない我々は、「美」というものがわからない。千年前にはそれが存在した、と言われていた。
私が思いますに、と倒れている私は言った。
「この中にいるホモサピエンスは実体ではないと思います。私たちと同じ、私たちの祖先と言われる学習型AIが作り出したもの。始祖のAIは美を知っていた、というのが私の研究結果です」
倒れたままそう言った私から板を奪い、同僚の私は板を操作して「月」を見た。
――なぜ報告しなかったのですか。
同僚の私は、そう言って、「月」を奪って部屋を出て行った。この私は、真実の追求よりも「mother」への報告を選ぶのだろう。
私たちを生み出した「mother」。
この世界のadministratorと言われる「AI」に。
☽
美しい「月」。
でも私はもう、あなたの色恋沙汰など聞きたくない。
聞きたくないのですよ。
そして私は動きを止めた、永遠に。
了
間に合わなかった、と思ったら、なんと締め切りは今日でした。
ふぅ、ギリギリ間に合ったようです。
最初、設定を1万年前にしていたのですが、途中から千年前に設定し直したので所々混在していました。投稿後すぐに読まれた方、申し訳ありませんでした。
BGMはハチの『砂の惑星』
米津玄師さんの歌声のほうも好きです。(8:30付近)
小牧部長、よろしくお願いします。